《人材》と《人脈》は意味をなさなくなる

本来の意味は悪くない言葉なんだろうけど、どうも“人材”という言葉が好きくない。

 “優秀な人材”とか“人材派遣”とか、人を材料のように選別して、組織や規則というフレームに当てはめて、そのハマり方次第で優劣を付けてる感じになんか嫌悪感を感じてしまうのだ。 

その組織や規則は既存の大量生産消費社会に適合したシステムで、百歩譲ってそのシステムが有効ならばまだ意味があるのかもしれないけど、今やそのフレーム自体が適量生産消費社会に移行する中で既に意味をなさない時代になって来ていて、それに当てはめようとする考え方にはさらに嫌悪感を感じてしまってならない。

 

本来の意味は悪くない言葉なんだろうけど、どうも“人脈”という言葉が好きくない。 

人脈自慢する人に限ってその人を通すと話がむしろ滞る。
その人を知ってるだけでは最早意味をなさない。

以前ならばそれでも連絡手段がなかったから、知ってるだけの(人脈のある)人にも価値はあったのだ。でも今や知らない人とだって関係性は作れるし、知らないくらいの方が色眼鏡無く新たな関係を構築しやすいから。つまり知っている以上のリアルでインタラクティブな関係性を相手と共有していなければ、本当の意味で”脈”ではないのだ。

 

人材とか人脈とか、人を組織の機能効率面での構成要素としか見なさない考え方は、人工知能と情報革命でこれから一気に駆逐される。 

なので《人材という言葉を多用するビジネス》や、《人脈という言葉を重要視する人間》はAIとSNSに取って代わられる。 

つまり、人を人と認識できない組織や社会や国家などの既存のフレームは衰退に向かうし、やがて滅びる。 

でもそれは、あえて注意深く言えば、滅びるといったって、そのフレームに参加している個人が死ぬというわけではない。ほとんどの人はそれでは死なない。

そのフレームではない、あらたなフレームを皆で模索して成立させることで、《人が人として生きていける新たなフレーム》を構築することを意味するのだ。

いまから150年前に、江戸幕府から明治政府にフレームをリビルドしたように。


と考えると例えば(あくまで例えばであらゆる業種に言えるけど)優秀な“人材”を独特な“人脈”を通じて流通させることにより商品化して来た『芸能界』という既存のシステムは来るべき未来で意味をなさなくなる。 

というかもう昨年くらいからその兆候が出てる。

そして芸能界に依存して来た広告界と放送界も同時に激変する。

この激変は、それは人が人になる時代の到来だとも言える。

 昨今の芸能界の問題を例えばこの観点で論評してるメディアがあればまだ未来があると思うのですが、ほぼ無い。 

事務所vs個人とか、個人の適応力みたいな話で終始してる(せざるを得ない)メディアは、気づいてないか、気づいてない振りで事態を誤魔化していて、それだときっとそのまま崩壊に向かう(と思う)。

なんども言うけど、これは職種や年代とか関係なく、すべてのあらゆるひとたちに突きつけられた選択なのだ。

気づいていても、ごまかして気づかないふりをして、既存のフレームに依存していては、それこそそのフレームとともに死んじゃうことになる。


要は僕ら一人一人が、気づいて築けばよいのだ。


角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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