先日「天才とは経験することである」とのキンコン西野さんの言葉から思ったことを書いたブログ、かなりの方に読んでいただいた。↓
でもほとんどの人は天才ではない(と自分のことを思ってると思う)。
では天才じゃない人はこれからどうやって経験を積んでいけばいいんだろう?
何度も書いてるけど今は情報&人工知能革命《Information&Artificial Intelligence Revolution》の真っ最中だ。
嫌な仕事は、多分どんどんAIがすることになる。
ということは、これからは
「好きなことを仕事にしたい」から
「好きなことを仕事にしなければならない」
時代になることを意味している。
嫌なことを仕事にして、お金を稼いで、そのお金を使って好きなことをする、という大部分の天才ではない人がやってきた今までの生き方が成立しなくなる。
これからはつまり天才でなくても、個人個人一人一人が「好きなことを仕事にできる度量」を持つ必要があるのだ。
それは自分のタレント(才能)で誰もが生きること、つまり誰もが多かれ少なかれタレント活動することを意味する。
ではそんな未来で、
自分のタレント性とは何か?
どうタレント性を身につけるか?
それが肝心なこととなる。
例えばクラウドワーキングって新しい働き方だと思う。
けれどそのためのベースになるスキルを持たない人が、これからどうスキルを身につけるか?僕は以前から疑問に思っていた。
だって企業が仕事をクラウドワーキングでスキルを既に持ってる人に発注してしまえば、今まで仕事の途中でスキルを身につけていくという、個人が新たなスキルを身につける学び場が縮小していくことを意味する。
だってどんな人だって仕事のタレント性を持つには、多かれ少なかれ修行期間が必要なのではないだろうか?
それを組織がクラウドで代用すると、結局全体のスキル低下を招くのでは?
僕はそれが最近のニュースになってるようなコンテンツ産業の質低下と関係してると思えてならない。
今も昔もそして今後も、天才以外はスキルを身につける”修行期間”が必要不可欠だ。(天才だって実はそうだと思うのだけど)
修行しないと身につかない技術や師匠から教わる技法、それらは多かれ少なかれ習得に時間がかかるし、心身ともに負荷も大きい。
でもそれらをコンプラとか労働条件とかで杓子定規に否定することは、結局そのビジネス自体の衰退につながるのではないか。
でも2016年の今年、いろんな問題が情報&人工知能革命(IAI革命)で、一気にあぶり出されてきて、各問題に対処するために日本はその方向にどんどん向かっていってる。
それってさらに問題を未解決のままにしているだけではないだろうか?
だとするならば、むしろ労働条件やコンプラを守る前提で、
『働く』とは『やりたいことを仕事にしなければならない』時代に向けての、タレント性獲得のための個人の修行や弟子期間だと再定義できないかな。
組織や会社のために滅私奉公するのではなく、自分のために滅私奉公する。
結果的に個人も組織もスキルUPするような社会。
そうすると『働く』とは修行であり弟子期間であるから、むしろ教える方の上司にも師匠としての自覚と気概が必要で、
「会社の利益や効率のためにただ働け!」とか
「10時だからさっさと帰れ!」
とかそんな一方通行的な命令関係でなく、互いに師匠と弟子としてのインタラクティブ性を担保する環境に職場も再定義されていくような気がする。
「利益のためにやれ」とか「規則なのでダメ」とか、そんな杓子定規な言葉が飛び交わない環境。
結果的に何かをやるやらないも師匠と弟子としての相互信頼において決めるとでもいうか。
機械的に組織を動かすのではなく、あえて心情的に組織を動かすと、仕事を再定義。
それってむしろ未来的なんじゃないだろうか?
問題は組織の中で再定義を職種にする人たちは、えてして権威的で採算効率主義的だから、再定義とは個人の心情を否定して、機械的に行う(リストラする)ことだと固執しがちなこと。
これは根が深い。
今まで日本経済はそれで上手くいってたから。その中で上手くいった経験のある人は、それこそ心情的に人間が活動することこそが、新しい未来だと気づけない。
でも僕らが直面している情報&人口知能革命(IAI革命)とは、機械的なことは機械がやるから、人間はより心情的に活動することが、新たなビジネスになるという再定義革命でもある。
なので組織が機械的に振る舞い、個人を機械的に使い、個人の心情を無視することは、むしろ組織の存在価値自体を失うことだと、皆がそれこそ一人一人が改めて気づくべきなのではないだろか。
《仕事を修行と再定義する》
これって、字面上は前近代的にみえて、実はすごくこれからの未来の生き方の指針だと思う。
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