「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」の意味

いいか悪いかは全然別だけど、相手の身になって考えてみると、何でそんなことを言うのか、何でそんなことをやっちゃうのか、何でやらないのか、だいたい理解できたりする。
てことは自分がこう思う、あーしよう、あれやめよう、となった結果はあくまで自分目線で正しいだけなのだ。
そりゃ間違えるよ。

あとは、そんな他者に寛容になるか、自分にも甘くなるか、或いはそんな他者を糾弾するか、自分を蔑むか、そのグラデーションでしかない。
いちいちの案件に固執するより、そのグラデを自分と社会がどの色合いだと気持ちいいかを、自分自身で思考することが必要なんだと思う。

若い頃はいまいち掴みかねていた、聖書の「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」って、最近やっと意味がわかった気がする。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

0コメント

  • 1000 / 1000