人には絶対的に譲れない不可侵な想いがあるんだよ。
損得とか、端から見てとか、規則だからとか慣習だからとか関係無いレベルの。
それを無視し陵辱する奴や社会を僕は心底軽蔑するし、そんな人の絶対的な想いを僕は全力で肯定するし応援する。不器用だが、そんな生き方しか僕は結局できない。
例えば僕の職業、プロデュースとは、人の絶対的な想いをカタチにする職業。
当然自分の想いも含めて。
絶対的な想いが無いなら、やらなきゃいいし、関わらなきゃいいのだ。
絶対的な想いがあるなら、絶対実現させるべきだし、絶対実現する。
そんな絶対的な想いを僕は、絶対的に肯定する。
そんな絶対的な想いは、それこそ人の数だけある。それぞれの絶対的想いを尊重するってことは、一人一人の多様性こそが、もっとも大事な価値であるということだ。
でも現代の日本社会はそうなっていない。人と合わせて画一的であることを要求する/要求される社会だ。
でもそんな社会は情報革命によって、これから確実に変容する。
そんな絶対的な想いで考えててたら、ある確信が僕の脳内をよぎってしょうがない。
なので、予言めいたことを、昨日Twitterでつぶやいた。
多分もうすぐ革命が起こる。
それは暴力的な組織的ないわゆる昔の革命ではなく、現ルール内での改革的な革命でもない。
言うなればいつの間にか人の信じる規範が反転するような革命。
気づいてる人と気づいてない人が反転する革命。
気づいてるけど気づいてないふりをする人が消滅する革命。
人はある情報を受けて脳内で変容させて新しい情報として発する。人の頭脳はまさに関数。
今後人工知能が発達して最適解を出すのが容易なら、個人の存在意義はむしろ最適じゃない解を出すことなんじゃないか。
どれだけユニークな最適じゃないない解を出せる関数でいられるかが、その人の存在意義になる。
産業革命から続く資本主義社会の現在の日本社会では、組織や会社は個人に常に最適解を出す画一的な関数であることを求める。均質化した労働力を一定数持つことが、大量消費社会での一番の価値だからだ。
でもその最適解を今後AIが出してくれる情報革命社会では、個人がどれだけユニークかが組織や会社の一番の価値になる。ユニークな関数がどれだけいろいろあるかが大事な社会になる。
ということは、多様性がない組織や会社は滅ぶ。
多様性の革命。Variety Revolution
多分もうすぐ革命が起こる。
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