『第三の波』byアルビン・トフラー (1982中公文庫)

先日古本を購入して、まだ読み途中だけど、気になるところを、書いていこうと思う。なので随時更新します。(というか、本の感想は、読了してから書くのではなく、この随時更新で良い気がして来ました。)

拙著『最速で身につく世界史』に、すごくインスピレーションを受けた未来学者アルビン・トフラーの「第三の波」。でも読んだことはなかった。

1982年、当時中学生の僕はNHKでやっていた特番で見た記憶が大きいのだ。テレビではこう言っていた。

”第三の波は情報革命である”

僕にはそのとき、意味がよくわからなかった。

”第一の波の農業革命”、、、うん、これはすごい!

”第二の波の産業革命”、、、うん、これもすごい!!

”で、今起こってるのは第三の波の情報革命です”

「うん?情報革命??何だ?何がすごいんだ?、、、またまたテレビは今が革命だって、煽りやがって、テレビの悪いクセだ」

とかなんとかの感想を持った記憶が有る、マセガキだった(笑)。

でもそれから10年後インターネットを体験して、さらに10年後iPhoneを手にしてみて、その情報革命の真意がわかった。

「すごい革命だ」

というか、今はここまで思ってる。

「今までの中で、一番すごい波なんじゃないか?」って

なのに、原本を読んでいなかった。猛省。アマゾンで調べたら古本ならあった。早速購入。読みはじめたら、、、

「何だ?これは?今でもまったく通用する本ではないか!」

てことで、今読み進めてます。


アルビン・トフラーさんは、ほんの先日、6月27日に87歳でお亡くなりになっていた。実は、それも今知った。自分の見聞の浅さに辟易する。

そしてご冥福をお祈りしつつ、いろいろ調べてみると、彼の生涯と僕の人生の見えないシンクロに今、衝撃を受けてもいます。それはいずれ書きます。。。今は、ただ読み進めよう。



新しい文明が、われわれの生活の中に生まれつつある。だが、至るところに盲目の徒がいて、それを抑えようとしている。 《第1章 大闘争 p026》

第三の波は、生産者と消費者の対立を融和し、新しい「生産=消費者」(プロシューマー)経済への道をひらく。新しい文明は、こうしてわれわれの知的な協力により、世界史の中ではじめて真に人間的な文明になりうるのである。《第1章 大闘争 p028》

消えゆく第二の波と入れ替わりに盛り上がりつつある第三の波を見分けることさえできれば、現代の中に隠された秩序はすぐさまはっきりと理解できるのである。《第1章 大闘争 p035》

先進国に住むわれわれの圧倒的多数は、その個人生活と政治的行為において、意識すると否とにかかわらず、消えつつある秩序にしがみつく第二の波派か、まったく異質な明日を築きつつある第三の波派か、それとも進退きわまって両者の間に絶望的に漂う中間派のいずれかなのである。《第1章 大闘争 p036》

大まかに言っていまから300年前、一つの爆発が起こって衝撃波が地球を走り、古い社会を壊滅させるとともに完全に新しい文明をつくった。つまり、産業革命である。そのとき起こった津波ーすなわち第二の波ーは過去のあらゆる制度に向かって押し寄せ、何百万という人の生活を変えた。《第2章 文明の構成 p040》

奴隷制度についての道徳上の対立や関税のような経済の狭い問題が南北戦争の争点と考えられているが、正しくない。真の原因は、新大陸を支配するのは農民か工場経営者か、第一の波か第二の波かという大きな問題だったのである。同じような文明の衝突は、世界の各地であった。日本では明治維新が、農業的過去と産業的未来の、実に日本的な争閥だった。《第2章 文明の構成 p043》

生産者と消費者という役割の分離は、同時に、一種の二重人格をつくる。人は、生産者としては直ちに報酬を求めず、規則正しく、節制と節度と従順をわきまえるよう家でも学校でも職場でも教育されるのに、その同じ人が消費者としてはひたすらに充足を求め、慎重さを捨てて快楽に走り、節度を忘れ、あくまでも我が満足を追求する・・・つまり完全に別の人格になれと勧められるからである。広告が全力をあげて消費者をけしかけ、借金してでも衝動買いをせよと迫る。《第3章 見えないくさび  p066》


企画化、専門化、同時化、集中化、極大化、そして中央集権ー以上の六原則が、ていどの差こそあれ第二の波の国々を動かしているプログラム(学習計画)である。《第4章 暗号の解読  p089》


第二の社会には必ず類似のエリート構造が誕生する。

産業構造という防波堤を叩きつつある第三の波は、社会的、政治的な核心に対して壮大な機会をひらく波である。もはや時代に遅れ、正しく稼働しないばかりか抑圧的にさえなってしまった現代の統合機構に代わって、想像もつかないような新しい制度の生まれる日は、目睫の間に迫っている。《第5章 権力の技術者  p099》


マス・メディアによって創り出され、集団心理的に注ぎ込まれたこのようなイメージは、産業生産社会が必要とするような、人々の行動の企画化に役立った。

今日、第三の波が怒涛の如く押しよせ、社会に変化を巻き起こしている。

新しい情報を受け入れるために、我々は加速度的にイメージ・ファイルを変え続けねばならない。

過去の事実に基づいた古いイメージを最新式のものに置き替えなければ、われわれの行動は現実から遊離し、われわれは無能化し、現実に対処できなくなる。

われわれに内部のイメージ製造が早まることは、イメージがいよいよ一時的なものになることを意味する。多彩な概念や信条、主張などが、意識の中に飛び込んできて挑戦を受け、抵抗に逢うが、突然、どこへともなく消え失せてしまう。科学や心理上の学説は、耐えず破棄され、新しいものが取って代わる。イデオロギーにはひびが入り、著名人はくるくる旋回しながらわれわれの意識の舞台から消え去っていく。相反する政治的、道徳的スローガンがわれわれを襲い、悩ます。

第三の波は、情報の洪水を増すだけでなく、われわれの毎日の行動の基礎となる情報の奥深い構造まで変えてしまうのである。《第13章 メディアの非マス化  p217-218》


第三の波が押し寄せると、マス・メディアはその影響力を拡大することができなくなったばかりか、第三の波に巻き込まれてしまった。波打ち際でマス・メディアを打ち負かした力を私は「非マス化したメディア」と呼ぶ。《第13章 メディアの非マス化  p218》


テレビのマス視聴者は分割され、その分割された一つ一つが文化を多様化するだけでなく、これまでわれわれのイメージを完全に支配してきた放送網の力を弱めるという事実である。《第13章 メディアの非マス化  p226》


瞬間的文化

メディアの非マス化は。われわれの考え方も非マス化した。第二の波の時代には、メディアによって次から次へとわれわれの頭に叩き込まれた企画的イメージが、批評家の言う、いわゆる「大衆心理」をつくり出した。今日では、大衆全員が同一のメッセージを受けるのではなく、非マスに細分化されたグループ同士が、互いに多量のイメージを交換し合う。《第13章 メディアの非マス化 p227》


その結果、人間も組織も、より多くの情報を求め続け、体系全体がデータの激流によって脈動するようになる。

第三の波は時代遅れの、疲れきった第二の波の情報体系を粉砕し、それに代わる新たなものを創造するのである。《第13章 メディアの非マス化 p230》


職業が互換性を失ったように、人間もまた「だれとでも取り換え可能」な互換性を失った。人間は取り換えのきくものとして扱われるのをきっぱりと拒絶し、みずからの民族的、宗教的、職業別、男女別、文化的、個人的立場をはっきり意識して働くようになった。第二の波の時代には一丸となってマス社会に「統合」され「同化」されようと願った人々が、いまでは個性を殺すのを拒否し、独自性を主張し始めた。それなのに第二の波のマス社会になれた企業は、従業員や消費者の間に高まるこの多様性への対策に、いまだにとまどっている。《第18章 企業の危機 p310》


企業の生産のあり方をめぐって五つの革命的な変化が起き、企業はもはや自己を見直す以外に選択の余地ない立場に追い込まれている。

物理的な環境の変化、さまざまな社会的勢力の出現、情報の役割の変化、政府組織の変化、道徳意識の変化ーーこの五つが寄り集まって、企業を新しい多目的なものへと変身させる圧力になっている。

企業は経済組織にすぎないという第二の波の時代の企業理念は時代遅れになった。新しい状況下の企業は、もはや生産とか利潤など経済機能の極大化だけを狙う組織ではない。

企業は、第二の波の時代の経済的生産物だけでなく、環境的、社会的、情報的、政治的、道徳的「生産物」についても配慮し、責任を持たなければならないのである。《第18章 企業の危機 p314-317》



角田陽一郎/Kakuta Yoichiro Official Site

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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