私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくるものだ 《巻2 p337》
この11月の三連休はほぼ何もしなかった。というより何もできなかった。左眼の手術以降、なんか何もかもやる気が起きないのだ。
そんなんで、先日訪れた姫路文学館の司馬遼太郎展でお土産で買った黒田官兵衛の『播磨灘物語』全4巻を一気読みした三連休だった。そんな読書三昧も悪くなかろうと。
ちなみにこの『播磨灘物語』を読みたかった理由は2つある。
一つは、訪れた姫路がまさに舞台だから。ちょうど官兵衛の展示がしてあって、読んでいたら読みたくなった。
そしてもう一つは、その展示によると黒田官兵衛孝高が”如水”と名乗ったのが、ちょうど僕と同じ年の47(数え48)歳だから。
もうめちゃくちゃおもしろかったなー。でもこれは司馬作品全体に言えることだけど。
そして、官兵衛の生き方、というか生き様、すごく感じいった。
この作品では、山崎の合戦までしか描かれてなくて、つまり30代の官兵衛までで、というのもそれ以降は播磨灘の話じゃなくなるからかもだけど、つまり如水と名乗るのは、後日談になる。
でも、官兵衛のそのまさに”水の如し”の生き方、秀吉との関係、自分の人生に投影してしまった。
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