クリエイティブとは妥協の連続である

モノを作ってると色んな要因で自分の理想通りに具現化しないことが圧倒的に多い。

そこでどう折り合いをつけて実現させるか?

他人からは妥協と呼ばれるかもだけど、折り合いつけないといつまでも完成しないし、その妥協点から理想に今後どう近づけるか?が実は一番クリエイティブな行為だったりする。

でも他人には当然その不恰好な妥協点が一番ダメだと指摘される。
「ここが良くない」
「あそこがダサい」
「キャスティング、センスないな」
等々。
はい、分かってます。分かってるのです、だってそこ、色々あって仕方なく妥協したところだから。
つまり妥協したための不恰好なんだから、誰にでも見抜ける作品の1番の粗。
でもそんなこと他人にはなんの関係もない。言ってみたって所詮言い訳でしかない。

なのでそこを1つ1つ潰していくための気の遠くなる作業が続くことになる。

僕はクリエイティブとは、つまり妥協の連続で、でもその中で日々成長するものとして必死にもがいて作っていくしかないと吹っ切ることだと思う。

例えば番組を産み出す上でお金をかけるとたしかによくなるし、いい演者さんが出ればカッコがついた番組にはなる。
でもお金かけてもいい演者さん出ててもよくない番組も多い。
結局そこは環境だったり出演者だったりお金ではなく、作り手自身の気概と忍耐力の賜物なんだと思うのだ。
妥協しつつ戦う気概と忍耐。

そして、そのことがわかる人はそもそも問題ではないのだ。
問題は、わからない人にどうすればわかってもらえるか?

でも「わかる・わからない」は多分にその人の想像力のキャパだから、その想像力がない人にどう想像してもらえばいいのか?
わからない人のキャパをどう広げるか?
そこが果てしなく難しい。

さらに難しいのは、そもそも自分自身の想像力自体どうなのか?が一番の鍵だったりすること。まさにそれこそ自分が自分で自分を広げなきゃいけない。

うん、果てしなく果てしなく、ネバーエンディングに難しい。
でも逆説的に言えば、だからこそ、それはクリエイティブの、ネバーエンディングにおもしろいところでもあるのだ。

つまり、人生をかける意味がある行為なのだ(と思う)。

まあ、そんなことを今日キンコン西野さんとザッパラス玉置さんとの飲み会で酔っ払った僕は喋った。
2人もかなり酔ってたから覚えてるかは知らんけど。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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