以前お会いした現代の魔法使い、若き天才・落合陽一さんが言っていた。
ディスプレイというと映像を画面に映すと思っている人が多い。でも家具を配置することもディスプレイと言う。これからは2Dと3Dの違いなどなくなり本当の意味でエンタメをディスプレイする時代になる。その際、従来の映像屋作り手はどうなるのか?
今まで映像を流すのに一番効率が良いのが放送だったから、全国あまねく放送局と基地局を作り電波を流していた。
しかしネットがそれを超える効率性を発揮する時、果たして放送はどうなるのか?
南北に長い人口が少ない山がちなノルウェーではもう映像を放送しないことにしてるらしい、お金がかかるから。
コンテンツを流すのに放送にこだわる必要がないのだ。
エンタメを流すのに2Dに固執するのはナンセンスなのだ。
まもなく2D映像を放送する事が無意味な無価値な時代がやってくる。
でもおもしろいコンテンツはきっと無くならない。
どんな形態であれおもしろいことワクワクするモノを生み出すこと、僕はそれを《おもしろ原理主義》と呼んでいる。
既存の枠組=フレームに拘るのはむしろコンテンツ終焉を意味する。
でも既存の枠組みで生きてる人にそれを言うと嫌悪感を示す。
枠組みを死守しようと、新たな枠組みを阻止しようとする。で
も最早その阻止ができない時代に突入してる。
それは既存の人の死を意味しない。
人が変わればよいだけなのだ。
何歳だろうがどんな職種だろうが未来に向けて変わればよいのだと思う。
江戸時代から明治時代に変わった時、ほとんどの人は過去の時代と一緒に死んだのではなく新たな時代に合わせて変わっただけ。
長州藩は山口県になり薩摩藩は鹿児島県になっただけ。
今は明治維新以上の変化の時、ならば滅ぶ前にそれぞれが変わればよいのだ。過去に固執しないことが、多様性革命だと思う。
今が明治維新を超える革命に直撃されてると気づいてる人と気づいてない人がいる。気づいてない人はむしろ大丈夫。今から気づけばよいから。
深刻なのは、気づいているのに気づいてないフリをしている組織や人。
それは変わろうと思っても変われないことを意味する。変われない人や組織は滅ぶしかないから。
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