読了したのは3月22日なんだけど、実はこれを書いてるのは5月9日。
読んでから50日くらい感想書くの放置してしまった。
もう村上春樹という存在が、それくらいの巨大な“イデア”なんだと思う。自分の中で、おいそれとは感想なんか書けないというか。
あえて書けば、やはり素晴らしかった。
彼の作品の中でも好きな作品だと思う。
何が?
多分会社辞めてフラフラしてる自分と重なるところが大きいからかな。
主人公が肖像画を描くように、僕も番組を作ってきたからかも。メタファー的な意味で。
そういう意味で、村上春樹さんも歳を重ねたからか、主人公の作品の中での実年齢より、なんか10歳くらい歳上に感じられた。つまり自分の年齢に近い感じで読んでしまったかも。
なので色々自分と重ねすぎて読んでしまっていて、もう作品についてのピュアな感想で無くなってしまうような。
だから50日も書けなかったんだと思う。
今も、書けるから書いてるわけじゃないし。
『顕れるイデア編』は旅先のフランスで読んだ。なので旅をしてるような読書だった。旅というイデアが顕現する読書体験。
この『遷ろうメタファー編』はほとんど家で寝っ転がって読んだ。
そういう意味で眠りについて夢を見てるような読書だった。作品自体も夢=メタファーのようだし。
私はこれからしばらくのあいだは、何も考えずにただ自動的に手を動かしていたかった。
ただ無心に慣れた技術を駆使し、余計な要素を何ひとつ自分の内に呼び込まないこと。イデアやメタファーなんかと関わり合いにならないこと。《『騎士団長殺し 第2部遷ろうメタファー編』63.でもそれはあなたが考えているようなことじゃない》
僕も無心にメタファーとして番組を作ろう。
そして無心にイデアとして文章を書かなければ。
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