グザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』の試写を先日観て、どうしても見返したくなり『わたしはロランス』を見た。
ドラン23歳の監督作品。13年当時映画館で観たけど、あらためて見返して気づいたことがたくさんあった。その時も素晴らしい作品だとは思ったけど、ここまでとは思わなかった。へー、フランス語圏のカナダの映画って、こんな感じなんだだなって印象だったのを覚えている。
今回の『たかが世界の終わり』が演出を抑制することで表現していることを、ロランスでは、めいいっぱい彼の映像表現、カットとか色彩とかセリフとかを使って、表現している。荒削りといえば荒削りだけど、そこがまたこの作品の素晴らしいところで、エンタメとして成立させるために若きドランがめいいっぱい持てる彼のオリジナルの技量を詰め込んだのが見てとれる。その監督自身のめいいっぱいの若さが、この作品の儚さをさらに増幅させる。
ロランス→たかが世界の終わり、は成立しているけど、たかが世界の終わり→ロランスだと、世界は彼に気付かなかったんじゃないかな。
0コメント