青森市の山内丸山遺跡に向かう。
本当は下北半島に行って、大間のマグロをチャレンジしようとおもっていたのだけど、昨日の八食センター祭りでその食への欲望は抑制気味&天候が悪化したので。
この山内丸山の街は縄文時代で1500年間も続いたと言う。京都ですら平安京からでも1200年あまり。なんて長いあいだ、人々は何を考えて、この北の地で生きていたんだろう。
僕の人生なんて、それにくらべて、なんて短いのだ。
竪穴式住居の中に入ると、現代と実はそんなに変わってないと思えるし。
遺跡の隣は、青森県立美術館。
《アオモリ犬 by 奈良美智》
特別展で青森出身の報道カメラマンの澤田教一の生誕80周年を記念する写真展『故郷と戦場』をやっていた。
澤田教一と寺山修司は、なんと高校の同窓だという。寺山は東京の早稲田大学に行き、演劇に向かうが、澤田は早大に落ち、鬱々としたやりきれない気分で、三沢の米軍基地内のカメラ屋で働き始めたという。
そして、彼はそこで写真を知り、アメリカという外国を知り、やがて戦場カメラマンとしてベトナムに行くのだ。
故郷の青森と、戦場のベトナムは、つながっていたのだ。
彼の撮った屍体が転がる戦場の凄惨極まる数々の写真は、心に突き刺さる。見ていて鬱々とした気持ちになる。
現代の平和な青森で、50年近く前のベトナムの戦争を知らされる。
その中の「安全への逃避」は世に広まり、彼はピューリッツァ賞を獲る。
写真家の彼の表情は活き活きとしている、充実感に溢れていてカッコイイ。
そして、次に赴いた戦場のカンボジアで彼は命を落とす。
たかが34年の生涯だ。
名前も知らない人々が生きた街が1500年も続いた。そのあいだにいろんな人が生きて死んだんだろう。
澤田教一は35年の短い人生で、知らない人々の戦場の生と死の一瞬を、写真で切り取った。
長くても短くても、有名でも無名でも、鬱々と活き活きと、人は皆、その人生の、その一瞬一瞬を、生きているんだ。
旅は、いろんなことを教えてくれる。
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