キングコング西野亮廣さんの絵本の展覧会『えんとつ町のプペル展』に行ってきた。神宮前のセゾンアートギャラリー。
クラウドファンディングで4600万も集まったから、入場は無料。
夕方行ったら、お客さんが多い。でもゴミゴミ混雑してるって雰囲気なんじゃなくて、皆お客さんも暖かいのだ。
多分自分たちが出資してやっている”自分たちの展覧会”だからだろう。人は知らない人には無関心だったり時に攻撃的だったりするけど、自分や仲間には関心があるし優しい。クラウドファンディングで絵本を創ったり、展覧会をやることで、西野さんはこの絵本のプロジェクトをみんなの”自分ごと”にしてしまっているのだ。
絵本自体もベストセラーだし、1000万で絵も売れちゃってるし、西野さんほんとすごい。
さらに西野さんの考えていることがわかる本『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』もベストセラー。
そこで実は僕のことも書いてくださっている。
西野さんと初めて出会ったのは、そもそも2013年の11月。僕がプロヂュースしていた番組『オトナの!』のゲストでキャスティングした際。
その時から西野さんと出会って話して感じたことを、拙著『成功の神はネガティブな狩人に降臨するーバラエティ的企画術』で僕も書いています。↓
西野さんをはじめ熱い人たちの話には共通点があります。
それはおもしろいことを言おうとしているという、変な欲や邪念が1ミリもないということ。ただ自分の感じたことをただひたすらまっすぐに熱い思いで語っているだけなのです。そしてその話は、結果として物凄くおもしろい。それに物凄く惹きつけられるのです。なぜなら、その人の熱量がこちらに伝わってくるからなのです。
僕はあることに気付きました。
それは、“おもしろい人”には2種類あって、“おもしろいことを言う人”と“おもしろいことを考えている人”がいるということです。
この二つは、似ているようで実は全然違います。両者とも僕らには欠かせない“おもしろい人たち”ですが、でも今のテレビには“おもしろいことを言う人”ばかりが出る傾向があります。なぜなら「おもしろいこと」は短い時間で言うことができることが多いのですが、「おもしろい考え」は説明するのに時間がかかってしまいます。テレビではチャンネルを変えられるのを恐れるあまり、時間がかかることを避ける傾向があるからです。
ただ、そんな“おもしろいことを言う人”にみなさんもそろそろ飽きてきているのではないでしょうか?
そういう僕自身が飽きています。ですので、自分の番組には“おもしろいことを考えている人”に出てもらいたい。それも本気の"熱"を持って“おもしろいことを考えている人”。そしてその“おもしろい考えごと”を思う存分テレビで発表してもらいたい。 キンコン西野さんにも「オトナの!」に出演していただいたのは、自分が心の奥底でそこに気付いていたからなのだということに、その時、わかったのです。
もはやテレビの中だけでなく、社会で、会社で、SNSで、特に、“おもしろいことを言うだけの人”は、全然おもしろくもなんともなくなってしまっているのです。
しかし社会や会社においては、“おもしろいことを言う人”のほうが重宝されがちで、“おもしろいことを考えてる人”、それも“熱く”真剣に考えている人ほど、時にバカにされるし、蔑まれるし、シカトされるし、奇人扱いされる。でもそういう風潮こそ、全然おもしろくない!!
そうなのです。僕はもはや、“おもしろいことを言う人”には全然興味がなく、“おもしろいことを考えている人”がおもしろいと思っています。当然“おもしろいことを言う人”の中には、おもしろい話芸を備えた話芸の天才がいます。でも、そこまで極めている人というのは、やはりおもしろいことを考えている人だからこそ、おもしろく話ができるのです。
ところがテレビや世間では、技巧的に“話のおもしろさ”を捉えすぎる傾向があると思えてなりません。話の“間”だとか“空気”を読むだとか、会社で言えば、会議の段取りや上司への報告、その話のおもしろさ(重要さ)よりも、どういうふうに上手にその場を切り抜けるかということをメインに扱っているように思えて、僕にはつまらなくて仕方がないわけです。本質で話してない気がするのです。
けれど“おもしろいことを考えている人”というのは、それこそ、その熱量が半端ではないですし、常人の想像を超えていることが多いので、社会では浮きまくっています。だからもしかしたら西野さんは好感度が低いのかもしれません。
でもそれでいいのだと思います。その“おもしろい考え”が未来を作るからです。
《『成功の神はネガティブな狩人に降臨するーバラエティ的企画術』より 第2章11.脊髄反射的「おもしろさ」は求めない》
《2014年6月26日@ネイキッドロフトにて西野さんと初めてトーク 撮影:ワタナベアニ》
0コメント