若い皆さんへ:働いてみて僕がわかったこと


働いて無理をして頭がおかしくなると組織の中で無理ができない自分がおかしいと思ってしまう。

それは若い人も歳くった上長でも変わらない。 それがおかしいと気付くしかない。 

でもそれに気付いて口に出すと「おかしい」とおかしい人に言われる。 

それを防ぐには気付いてる人が口にするしかない、「おかしい」と。 


人を追い込む人は必ず人に追い込まれる。 無理を強いる人は必ず無理を強いられる。 

僕も沢山の無理を強いてきたし、それ以上に強いられてきた。 

それで気付いた、恩と縁は送るけど怨と恨は送らない。 

でも人はそれに気付けるけど利益組織は気付けない。 

だから一人一人が気付くしかない、口に出すしかない。 


若い皆さんへ。 

僕は若い時入社2年目でADがあまりに辛くて3カ月脱走した。

周りの全員が敵に見えた、集団は無自覚に無理を要求してくる。

脱走して吹っ切れてその無理に付き合わなくなり、でもその後ディレクターになれたし、プロデューサーになれたし、好きなこともやり続けてる。 

助けてくれた縁も恩もある。 

仕事は適当にやればいいんです。


適当っていうのは“いい加減”っていう意味によくとらえられますが、適当っていうのは“当てはまる”という意味ですから、要は“過不足なくやりゃいいんです”。 

まじめな人って大体、「過」でやっちゃうから、疲れちゃって折れちゃうんだと思います。

当然不足しても怒られます。 でも、まずはそれは多過ぎちゃってるのか、不足なのかっていう判断を自分自身がするというのが大事です。

他人の目はとりあえず置いといて、自分自身で判断して、多くやり過ぎて失敗したな、疲れちゃったな、もう仮病でもなんでもいいから、(自分が崩壊する前に)今日は会社休んじゃおうかな、とか自分にとって“過不足なく”“適当に”判断するしかないのです。 




以下は拙著『成功の神はネガティブな狩人に降臨するーバラエティ的企画術』で僕が書いた、若い頃のことです。


配属されたバラエティ現場では、早速バラエティ番組に配属され、一番末端のADを任されました。もちろん、予想を遥かに超える激務でした。配属されるまでは体育会的な“しごき”が辛いのだろうと想像していたのですが、意外にもそんな“しごき”的なものはあまりなく(むしろ先輩はみんな優しかった)、むしろそれは文科系的に紳士的にドサっと降ってくる突然の大量の事務作業、果てしのないコピー取り、収録テープ整理、ロケ場所探し、弁当配り、撮影参加者のケア、タレントさんの対応、タクシー配車など、まさにその仕事の“責任”の物量に殺される寸前でした。  

ADの仕事の具体的に何が激務なのかと聞かれると、僕はよくこんな話をします。 

皆さんは旅行のツアコン(ツアーコンダクター)という職業を聞くと、どんな仕事を想像しますか? 旅先でのお客さんの求めるあらゆるリクエストを聞いて、観光場所や、食事場所、移動手段、クレーム対応など、さまざまな手配をして、なおかつそのツアーをスケジュール通り順調に進むように各所に気を配って遂行していく仕事です。「ツアコンって大変!」と思う方が多いと思います。ADのロケ撮影での作業は、そのツアコンの仕事と似ています。  

「なるほどそりゃ大変だ」と納得していただけたならば、実はADはそれ以上に大変なのです。何が大変かというと、ADの場合、まずそのツアーのお客さんは、主にタレントさんです。いい方もたくさんいらっしゃいますが、なかなか大変な方もそれ以上にいらっしゃいます。 そしてこのツアコンという大変な仕事ですら、物量で言えば、ADの仕事の半分でしかないのです。ツアコンの仕事を普通にこなすのは大前提で、さらにもう半分の仕事、つまり撮影そのものにまつわる作業、テープ素材管理、テープ素材の内容記録(スクリプト取り)、編集準備、編集作業、テロップ入力、テープ搬入などをOA(オンエア)までに確実にこなさなければいけない。 その圧倒的なやることの多さで、休む暇無し、寝る時間も無し、食事時間も無くて、トイレの個室で弁当を食べたこともあります。僕はこのテレビ業界に入って、よくもこんな重要な仕事をペーペーに任せるよな、とむしろ感心したぐらい責任ある仕事が、いきなり大量に襲ってくるのです。それがADの激務なのです。 

 

そんな激務の中、あまりにつらくて脱走して、連絡も絶って、行方不明になったことも何度かあります。実家に帰って、動物園でぼーっと猿を見ながら、「俺は何をやっているんだろう」と途方にくれたこともあります。 実家でその激務の状況を父に伝えると、「まずは3年がんばりなさい!」とアドバイスされました。「何言ってんの? こんな状態を3年も続けていたら本当に死んじゃうよ!」と思いましたが、なんとか会社に戻り、自分を騙し騙しADをやり続けて2年、3年と経つと、徐々に辞めたいという気持ちが薄れてきました。 

  

そしてちょうど3年で“辞めたい”が“辞めない”に変わりました。

でもそれは辞めたいという気持ちがなくなったわけではないのです。もしこの仕事を辞めて、別の仕事についたら、またその仕事でペーペーから1からやり直しになってしまう。それならば、もう少し耐えて、ディレクターになってしまったほうが早いという思いに、次第に変化していったからなのです。 

今にして思えば、父の“3年がんばれ!”という言葉の真意がわかります。

同じところに同じように3年いるという意味ではないわけです。同じところに3年いれば、3年分ペーペーじゃなくなるのです。そうすると、ペーペーでは見えていなかったことが、見えてくるのです。 それが1年目の僕には当然わからなかった、想像もつかなかったのです。

なので、僕が今この職場で見る新人ADたちには、その意味も伝えるようにして、まずは3年がんばれ!と言っています。伝わっているかは心もとないのですが。

 《『成功の神はネガティブな狩人に降臨するーバラエティ的企画術』より 第1章4.日常にちりばめられた旅の醍醐味を味わう》


失敗しても成功しても人生は続くのです。 

自分が“崩壊しない程度”を、自分が失敗する中で徐々に見つけ出す。 それは確かに社会や組織の中では、すごく難しいことだけど。

若いみなさんに僕が言えることは、僕が半世紀近く生きてきて思うことですが、「うまくいかないこと」というのは、悩もうが悩むまいが、どうせこれからの人生日々ごまんとあるということです。 

絶対あります。(今もあります笑) 

だからまずは、死なないこと。 

「うまくいかないこと」もありますが、それに代えられないぐらい「楽しいこと」も絶対ありますから。



これは、若い方だけでなく、自分にむけて書いていることでもある。


今年になって本当にいろんな膿が、日本社会で顕在化してきてる。

それは情報革命が進行中だから。

今迄の”大量生産宣伝消費社会”では見えてなかったモノが”適量社会”への転換で、見えるようになったから。

一人一人がそれに気づいて、一人一人が既存の価値観を反転して、一人一人“今から”変わればいいのです。

日本の組織や社会って個人個人で会うと話すと、優秀でいい人が多い。

話していると、改善点も見えてるし突破口も見えたりもします。

でもそんな個人が集まると、途端に硬直化し、周囲を気にし、融通が利かなくなり、意味のない前例と慣例に縛られてコレクティビズム=集団主義になる。

若い人も、年取った人も、女性も、男性も、どんな立場の人も、そんなことは関係なく、それを変えていくには、個人が一人一人、自分で考えて動くしかない。



角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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