『キリスト教思想への招待』by田川建三


私は別に、生活基盤が異なれば、お互いに理解しあえない、などとは思わない。しかし外国人どうし、それも生活基盤が非常に大きく異なるものどうしが、ある程度理解しあい、ある程度暖かい感情をもって接することができるのは、相手が自分と違う基盤で生きているということをよく頭に置いて、それをなるべく理解しようと努力する場合である。それは、とりもなおさず、相手の違いに対して、自分が遠慮を持つ、ということである。理解しようと努力すればするほど、同時に、自分がどの程度相手を知らないか、理解できていないかが、わかろうというものだ。その遠慮が、相手に対する敬意を生む。遠慮と敬意は、距離の自覚からしか生まれない。そして、距離の自覚は、努力してそれを理解しようと努めることから生じる。理解とは、自分が相手をどこまで理解できていないか、ということを理解することである。p73

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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