マルタは知っているのだ。この地上にはただ明るいだけ、元気なだけ、にぎやかなだけの瞬間なんてありえない。惑星の反対側の、暗くて、流動的で、音のない、ぐるぐる渦を巻くような瞬間によって、世界がひとしく分けられているのだということを。p114
夢
夢が過去の出来事をくり返すとき、過去の出来事を細かくほどいて、それをイメージに織りなおすとき、意味のふるいにかけるとき、わたしにはひとつの不安が頭をもたげる。つまり、過去だって未来とおなじで、永遠にとけない謎のまま、未知のままなのじゃないかしらって。なにかを経験したとしても、それはその意味を理解したということにはぜんぜんならない。だからわたしは、未来とおなじくらい、過去も恐れている。仮にこうしよう。自分がすでに知っていて、決まりきっていて当然だといままで思っていたことが、実はまったくべつの原因によって、まるでわたしの予想しなかった方法で起こりうることが明らかになった。ところがわたしはすでにちがう結論に導かれていて、それとはべつの方向には進めなかった。それがなぜかというと、わたしに物事が見えていなかったからか、あるいはわたしが眠っていたからかもしれない。このように過去が確かなものでないならば、現在はなおさらわたしの手に余る。p114
わたしはマルタにこう言った。人はみな、ふたつの家を持っている。ひとつは具体的な家、時間と空間のなかにしっかり固定された家。もうひとつは、果てしない家。住所もなければ、設計図に描かれる機会も永遠に巡ってこない家。そしてふたつの家に、わたしたちは同時に住んでいるのだと。p259
屋根というのは宗教とおなじく、究極の覆い、もしくは冠であって、空間を閉じると同時に、その空間を、外の世界や、空や、高みや、世界の荘厳な無限から隔ててくれる。宗教のおかげで、人は淡々と日々を暮らし、あらゆる無限を引き受けずにすむ。そうでなければ、無限に押しつぶされてしまうところだ。家の場合は、屋根のおかげで、風や、雨や、宇宙が放つ光線から、人は安全に守られる。両者の働きは、蓋の類、傘を開くこと、避難すること、船のハッチを閉じることに似ている。つまり両者があることで、自分を周囲から隔てること、安全で、自分がよく知る心安らぐ空間に、身を隠すことができるのだ。p262
魂は身体に突き刺さったナイフだ。それは身体に、生という名の、絶えることのない痛みを強いる。それは身体を、生かしながら殺している。なぜといって、日々の生は、神から引き離されることのくり返しなのだ。もしも魂がなかったら、苦しむことはないだろう。もしも魂がなかったら、人は陽光を浴びる植物のように生きるだろう。日当たりのいい草原に放牧されている動物のように生きるだろう。でも、人の身体には魂が宿っている。かつて、魂はその存在のはじまりのとき、言葉にできない神のきらめきを目にした。人はそういう魂を身体の中に宿すものだから、この世のいっさいが闇に見えるのだ。全体から削りとられた一部分でありながら、全体を記憶していること。死ぬために創られたのに、生きなければならないこと。殺されているのに、生かされていること。魂を持つとは、まさにそういうことだ。p264
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