『JOKER Folie a Deux』

遅ればせながらもう終わっちゃうしと『JOKER Folie a Deux』を観る。傑作だと想う。これはpart2というより、前作でホアキンJOKERが妄想で始まり、今回はJOKERの妄想の終わりを見せた映画なんだ。そう考えると、この内容とエンディングしかないのでは!とすら想う。もしこれが全世界で不評なのだとしたら、それはJOKERの妄想を(劇中の皆のように、ガガHarley Quinnのように)皆が終わらせたくないと妄想しているからだと想う。


強いて強いて云えば、3部作にして2作目はJOKERのめちゃくちゃ妄想の世界で、めちゃくちゃぶっ飛ばして、皆が大絶賛、街は大混乱ってのがあった上での、今回のFolie a Deuxが3作目ってのは違う世界線としてアリだとは想う。

でもこのFolie a Deuxが興行的不評というのが、メタ構造的には、

映画内現実⤵️→映画内妄想⤴️→現実内映画⤵️

ってなっていて、JOKERの存在の本質=アーサーの実体の世界の核心を突いて、現実世界の映画関係者のヒットしたら良かったのになーって妄想が崩壊して、JOKERとまさにFolie a Deux(妄想共有)していて、とても興味深い。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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