ダサいとダサくないの境界線

年末にテレビを見てるとここ数年思うのだけど、一周回って、テレビに出る方がむしろカッコいい!になってきてるような。。。
テレビがメインカルチャーだった昔はむしろサブカル側としてテレビ出演を拒否した方がカッコよかったのだろうけど、今やWeb3に比してテレビがサブカル側だからかも。

まあ、テレビ側の中の人と話してると(危機感ばかりで)むしろその事実に気づいてない人が多いんだけど、ネット界隈の人の話を聞いてると、意外にそう感じるんだよなあ。
そもそもサブカルってマイナー側に立つ方がカッコいいって文化だから。
ダサいとダサくないの境界線は、刻一刻と変わる。

だから自分としてできることは、あらゆることに対してダサいダサくないという判断はしないことかな。
その判断をしている自分こそがダサいかもだから。
そんでもって自分が好きなヒトモノコトを信じるってことかな。
若い頃からそうやって生きて来て、テレビにいてもいなくても自分の変わらぬスタンス。

つまり、誰かのダサいダサくないの判断には、1ミリも興味がないのです。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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