凄さの神威

今年の自分の一番の変化は、文学と音楽とアートと映画と演劇とドラマとバラエティの“違い“がやっとわかったような気がすることだ。
今までは凄い作品をただ凄いって思ってただけな気がする。
あらゆる作品はそのジャンルにおいて凄さの真意が違ってたんだな(当然、越境してる作品はあるとして)。

そうすると、なんていうか今まで当たり前だと感じてた“いい作品“と“そんなにな作品“の境界が自分の中で激変した。
なるほど、そういう真意(神威?)でその作品はそうなっているのか、と。
さらにエンタメ性と作品性の違いとか、ヒットするしないとか、いい悪いとか、深い浅いとか、それらも全然違う景色に見えてくる。

とすると、例えば、今まで“深いなー”って思ってた作品が、深いなーと見せている“浅さ”というものが感じられてしまったり、逆もしかり。
おもしろい⇆つまらない、ってのはその作品自体に内包しているというより、それに触れる人の特性次第なのかな、とも思う。
で、その特性を捉えてる(捉えられている)ことは、確かに凄いことなのだ。

その特性に合わせる。
その特性を見いだす。
そして、その特性を喚起する。


角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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