「普通じゃない国や会社や人でいいんじゃないか?」:憲法記念日に思うこと

Gotchのこの『憲法記念日に思うこと』のブログ、ぜひ読んで欲しいです↓

憲法記念日に思うこと

 北朝鮮からミサイルが飛んできたときに憲法9条は守ってくれるのか。と聞かれたら、普通に考えて、何らかの条文が国会の辺りからメキメキと合体ロボのように立ち上がって、飛んでくるミサイルをガシリと握り潰したりはしない。  だから、まあ、そういう聞かれ方をするならば、守るのは無理だと思う。ただ、問いの立て方が子供っぽいような気もする(ちなみに金政権はミサイルを他国に撃ち込むとどういう結果が待っているのかよく知っている。なので実験はするが実際には撃てない、と俺は考えている)。  憲法9条の力のというのは、そういうマッチョなエネルギーや方法とは別のところにあると俺は考えている。  その力とは何か。それは為政者に高い知力の保持を強いるということだ。  何しろ、軍隊も持てないし戦争もできない。ということは、隣国と緊張しないような外交努力を弛まずに行わなければならない。近くの海にミサイルやロケットを飛ばして国威を示したり愛国心を発揚したりしないで、実直に、ときには煮え湯を飲まされるような気分になることがあっても、内外からの圧力に耐えて、狡獪な相手とも交渉し、もういいやと投げ出さずに平和な状況を維持しなくてはならない。高い知性と判断力が必要な仕事だろう。  という文脈において、憲法9条は十分に国民を守ってくれているのではないかと俺は思う。憲法9条が政治家や国民に問うことを思えば、「敵国の軍隊がやってきて銃を突きつけられても同じことが言えるのか」という問いはほとんど屁理屈のレベルだろう。そこに至るまでの知的な活動をすべて放棄しなければ、成り立たない問いなのだから。  つまり、憲法9条自体が、思考停止を許さない巨大な「問い」そのものであると、俺は思うのだ。もちろん、難問だ。あの手、この手を尽くさなければならない。  憲法9条を捨てるということは、70年に渡って政治家たちや国民が保持し、受け継いできたある種の知性を捨てることでもあるだろう。  その知性によって、絶対に先制攻撃することのない、ArmyのようでArmyではない「自衛隊」という組織は発明された。そうは思えないという人がいるかもしれないけれど(もちろん、賛否はある)、俺はとてもラディカルな存在だと思う。武力などないほうがいいけれど、せめて世界中の軍隊が「JIEI-TAI」になったら良いと思う。KABU

Gotch / 後藤正文 / ASIAN KUNG-FU GENERATION / ゴッチ



このGotchの見解、凄く納得感が僕にはある。
そして、それ以前の幼稚な議論に終始することの危なさを年々ひしひしと感じてしまう。

この“幼稚さ”、要するに日本も“普通の国”を目指しましょう的スローガンに僕が甚だ違和感を感じるのは、ちょっと話は変わるのだけど、今から23年前にも聞いたことがあるからだ。

それは、国の話じゃなくて、会社の話。
ちょうど94年にTBSに入社した僕は、ちょうどこの時期、新人研修という座学を受けていた。
いろんな部署の人がいろんな講義をしてくれたのだけれど、その中で会社の中枢にいた1人の人の言葉を鮮明に覚えている。

「TBSは普通の会社を目指します」

その人は、新入社員の僕たちにそう言ったのだ。真意はこうだと思う。
「君たちは、華やかなマスコミ業界という、いわゆる“ギョーカイ”に憧れてこのTBSに入社したんだと思うのだけど、この会社はそんな君たちが想像するような、浮ついた会社でなく、普通の企業なんだからな、勘違いするなよな!」
という警句だったと思う。

でも、僕は何で華やかなギョーカイに憧れて、これから頑張っちゃいけないのだろう!ってすごく納得がいかなかったのだ。
普通の会社目指したら、ますますおもしろくなくなっちゃうじゃないか、と。

ちょうどその頃のTBSは、フジテレビに抜かれ、日本テレビに抜かれ、民放の雄を自認していたプライドがちょうどズタズタになってた頃なんだと思う。そんな時、会社の中枢の人は、唱えるのだ。
これからは、我々は“普通の会社”を目指すと。
なんか負けてきたことに対する“負け惜しみ”なのか、そこにしか活路を見出せないからなのか。

しかし、その普通の会社を目指したTBSは、その後どんどんさらに停滞していくことになる。(今はかなり復調してると思うけど)

つまり“普通の会社”なんて目指す必要なかったんだと思う。
普通じゃなくたっていいんじゃないか?

他の会社と異なってたって、それが意味のある“異なり”ならいいじゃないか?
というか、異なってることが、その会社の固有の魅力なんだと思う。つまりTBSは固有の魅力を失い続けたから、長く停滞したのだ。

あえて幼稚な言い方させて貰えば、
異なってる会社の方がかっこいいじゃん。
かっこいい会社の方が、僕は好きだ。
他社に(横並びで)合わせようとしてる、会社はなーんかかっこ悪い。
“普通じゃない会社”の方がかっこいいんじゃないか?

それは、人にだって言える。
“普通の人”じゃなくていいんじゃないか?
みんなと異なってたって、というかむしろ異なってる“普通じゃない人”の方がかっこいいんじゃないか?
他人に(横並びで)合わせようとしてる人はかっこ悪い(と僕は思う)。

僕はかっこ悪いのが嫌なのだ。

そして、国。
“普通の国”じゃなくていいんじゃないか?
例えば戦争放棄してるような、“普通じゃない国”でも、いいんじゃないだろうか?
こんな言い方してると、「お前が幼稚じゃ!」
とか言われそうだけどね。
この“普通の国”を目指そうとか言ってる奇妙な感じが、かつて自分の会社で経験したような負けてきたことに対する“負け惜しみ”に感じられて、どーにもこーにも“かっこ悪い”のだ。

それでもね、僕は日本が、“かっこいい国”である方が、かっこいいと思う。

憲法記念日に思う。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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