「普通じゃない国や会社や人でいいんじゃないか?」:憲法記念日に思うこと

Gotchのこの『憲法記念日に思うこと』のブログ、ぜひ読んで欲しいです↓


このGotchの見解、凄く納得感が僕にはある。
そして、それ以前の幼稚な議論に終始することの危なさを年々ひしひしと感じてしまう。

この“幼稚さ”、要するに日本も“普通の国”を目指しましょう的スローガンに僕が甚だ違和感を感じるのは、ちょっと話は変わるのだけど、今から23年前にも聞いたことがあるからだ。

それは、国の話じゃなくて、会社の話。
ちょうど94年にTBSに入社した僕は、ちょうどこの時期、新人研修という座学を受けていた。
いろんな部署の人がいろんな講義をしてくれたのだけれど、その中で会社の中枢にいた1人の人の言葉を鮮明に覚えている。

「TBSは普通の会社を目指します」

その人は、新入社員の僕たちにそう言ったのだ。真意はこうだと思う。
「君たちは、華やかなマスコミ業界という、いわゆる“ギョーカイ”に憧れてこのTBSに入社したんだと思うのだけど、この会社はそんな君たちが想像するような、浮ついた会社でなく、普通の企業なんだからな、勘違いするなよな!」
という警句だったと思う。

でも、僕は何で華やかなギョーカイに憧れて、これから頑張っちゃいけないのだろう!ってすごく納得がいかなかったのだ。
普通の会社目指したら、ますますおもしろくなくなっちゃうじゃないか、と。

ちょうどその頃のTBSは、フジテレビに抜かれ、日本テレビに抜かれ、民放の雄を自認していたプライドがちょうどズタズタになってた頃なんだと思う。そんな時、会社の中枢の人は、唱えるのだ。
これからは、我々は“普通の会社”を目指すと。
なんか負けてきたことに対する“負け惜しみ”なのか、そこにしか活路を見出せないからなのか。

しかし、その普通の会社を目指したTBSは、その後どんどんさらに停滞していくことになる。(今はかなり復調してると思うけど)

つまり“普通の会社”なんて目指す必要なかったんだと思う。
普通じゃなくたっていいんじゃないか?

他の会社と異なってたって、それが意味のある“異なり”ならいいじゃないか?
というか、異なってることが、その会社の固有の魅力なんだと思う。つまりTBSは固有の魅力を失い続けたから、長く停滞したのだ。

あえて幼稚な言い方させて貰えば、
異なってる会社の方がかっこいいじゃん。
かっこいい会社の方が、僕は好きだ。
他社に(横並びで)合わせようとしてる、会社はなーんかかっこ悪い。
“普通じゃない会社”の方がかっこいいんじゃないか?

それは、人にだって言える。
“普通の人”じゃなくていいんじゃないか?
みんなと異なってたって、というかむしろ異なってる“普通じゃない人”の方がかっこいいんじゃないか?
他人に(横並びで)合わせようとしてる人はかっこ悪い(と僕は思う)。

僕はかっこ悪いのが嫌なのだ。

そして、国。
“普通の国”じゃなくていいんじゃないか?
例えば戦争放棄してるような、“普通じゃない国”でも、いいんじゃないだろうか?
こんな言い方してると、「お前が幼稚じゃ!」
とか言われそうだけどね。
この“普通の国”を目指そうとか言ってる奇妙な感じが、かつて自分の会社で経験したような負けてきたことに対する“負け惜しみ”に感じられて、どーにもこーにも“かっこ悪い”のだ。

それでもね、僕は日本が、“かっこいい国”である方が、かっこいいと思う。

憲法記念日に思う。
角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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