『対象喪失の乗りこえ方』加藤諦三著
断念こそが絶望から希望への、残された唯一の出口なのである。まさに人間にとって最後に残された出口である。
絶望と断念はちがう。
断念は生きることである。逆境のなかで生き抜くことである。
次の言葉は、ヘレニズム時代の哲学者エピキュロスの言葉である。
「対象に執着するな。そうすれば、それが必要だとは思わなくなる」
「絶対必要だなどと思うな。そうすれば、絶対必要ではなくなる」
自らのナルシシズムを乗り越えなければならない。
ナルシシストは相手を理想化することで、自分と周囲が一体であることに憧れている。
別れる時がきているのに別れないということは、成長を拒否することでもある。
「これも、あれも」と思っていると全部をなくす。
選択できない人はすべてを失う。
人は、「依存心から大切にしているもの」がある。しかし、それを捨てることで救われる。
憎さの処理を間違えると、両方を失う。
憎さの処理を間違えるとは、憎しみを抑圧することである。
大切なのは熟する時を待つことである。
本当に立ち直る人は回復を焦らない。焦る人は立ち直れない。
心豊かな人生とは、対象喪失に適応した人生である。
それは決して悲哀のない人生ではない。悲哀に満ちた人生である。
しかしそれは、その時々で悲しい過去と縁を切った人生である。
心貧しい人生とは、対象喪失という状態への不適応である。それは、先に進めない人生だから。
林檎の木は林檎を離すから次の季節にまた林檎がなる。そして、林檎の木が林檎にしがみついていたら枯れてしまう。
0コメント