なぜに文章を書く?

人の文章を読むと同じことを書いててもなんか気持ちいい文章と、そうでもない文章、なんならイライラする、挙げ句には悲しくなるような文章ってのもある。
文体?構造?表現?語句?
その違いってなんなのだろう?
むしろ読む人側の感性?
そう考えると、どう書いても合わない人には合わないのだろうなあ。

とすると、果たしてどんな文章を書けばいいのだろう?
最大公約数的に気持ちいい文章がいいような気は勿論するけど、それ土台無理な話な気もする。
だからって自分勝手に書いててもダメな気もするし。
他者を意識する?しない?
わかりやすければよい?
なんかわかりやすさより自分は楽しくなる文章が好きだ。

じゃ、読んでて楽しくなる文章って何なのだろう?
勿論、中身の内容がいい悪いって話じゃなくてさ。悲しい内容であったとしても、読むのが楽しいって感じとかさ。逆に楽しい内容なのに、読んでてつらいとか、それこそつらいしさ。

比較的、自分は文章を書いてる方だとは思う。でも、人が読んでて楽しい文章を書いているかどうかは些か不安だ。(時々読んでて元気になりますとか感想をいただけると心底嬉しい)
じゃ、自分が読んでて楽しい文章になってるかというと、それも心許ないな。なんか自分は、自分の思考の志向を、志向の嗜好を、ただ書き連ねてる自分勝手なだけな気もするし。

少なくとも、文章を書くってことだけでも、楽しめるようにはなりたい。(それはそれで、とても難しい)
じゃ、なんで書いてるんだろう?
義務?報告?プライド?生きてる証?存在証明?
好きだから?むしろ苦手だから?
まあ、少なくとも今のボクは、書いてることでいろいろ救われてることがあるから書いてるんだと想う。

なぜに文章を書く?
人を救うため、とは痴がましいけど、少なくとも自分を救うために文章を書いているんだ。
そのままだと奥の方に沈殿してしまう思考を、すっと掬い上げるために書いているんだと想う。
自分の思考を掬うことで、自分の身体を救ってるんだと想う。




角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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