漫画で読んだのかな?多くの人は美術館に行って作品を見るより作品の隣に掲示された説明を見てる時間の方が長い。作品を見ないと意味がないのにって話だったと思うけど。それって半分合ってて半分間違ってるかも知れないな。確かに説明を読んでる時間の方が長いと思うから、もっと作品をよく見ることも大事だと思う。だけど、作品をいくら見てみても、それだけで何か感じられるほどの感性を持ってる人はそうそういないから、美術の歴史と作品の解説を知らないというのは、半分損してるのかも知れない。
どうして解説がないと感動できない、つまり感覚でアートを捉えられないとダメだって思えるんだろう?やっぱり普通の人はアーティストの独特な感性を無意識にすごいと思ってるからじゃないのかな。その感覚に憧れがあるとか、もしかしたら子供の頃に、小4くらいで感覚を無くした喪失感が残ってて、思い出したいと思うのかも知れない、アートを目の前にしたら。
次に行く美術展が何になるか分からないけど、説明はちゃんと読んで、もし解説してくれる人の話が聞けるなら聞いて、よーく見よう。
前回の話にも出てきたアシスタントプロ。いくら感覚が優れていても、それをどう伸ばすかは本人まかせよりアシスタントプロがいた方がいい。早く走るためにはロジカルに考えることも必要だし、シューズメーカーまで入れてるとって話は頭叩かれた感じがした。インタビューで応援してくれた方々にお礼を言う選手のその相手が私には全く見えてなかった。寿司特05で話してた芸人がネタをやることは手段か目的かって話と、うまく言えないけど繋がってるところがある気がする。
給湯流茶道の半休さんは、なんでもジャニーズか会社に例えて話してくれるけど、これを会社で考えるとトーナメントプロの役割の部署とアシスタントプロの役割の部署がある。稼いでるから、広告塔だから上で、社内の雑務だから下って思うのはやっぱり違うんだ。
夢といえば、私が思い出すのは攻殻機動隊2巻の最後。夢を見るか聞かれれて夢のことを「実現可能な努力目標」と「ただ待ちすぎる理想」と答えるシーン。そういえばのこの夢はどちらも起きてる時に見る夢の話をしてたんだな。寝てる時に見る夢もいい夢とナイトメアに分けるとするなら、夢って結構多くの意味がある。正夢、逆夢、悪夢、夢幻、夢想、白昼夢。夢現なんてレム睡眠あたりのことかも。
それから豊津さんの「集団の中のものが僕という体を通して出てくる」と言う話。これは私がお世話になった自由大学の発展途上人学にアカシックレコードを見てくれる人がいて、そのことを思わずにいられない。宇宙にあると言うアカシックレコードには全ての過去から未来までが記録されていて、その話はなんだかICUC#020のお話しのボルヘスの図書館を連想する(夜間飛行を読み終わったと思いつつ買ったのにまだ読んでない…)。電球だったかな?まだ地球の裏側と同時に連絡なんて取れない時代に、複数の人が互いを知り得ない場所で、時を同じく電球を発明する。しかもその構想はどちら様も閃いた的なことだというのは、特定の人がアカシックレコードにアクセスでき、そこからもたらされたからと言う話も聞いたことがある。豊津さんが言うアートというのは歴史に残る転換点だと言う話で、一層肌がチリチリする感じがする。
法律で権利を認められた集団を法人というけど、集団という人格の過去から未来もアカシックレコードにある?そこへアクセスできて、世に表現出来る人がアーティスト?それってちょっとシャーマン的な雰囲気もある。豊津徳04では一人であることがアートという話もあったけど、集団の夢なのに一人の作業でアートというのも、集団やアカシックレコードにアクセルできる「感覚は他人と共有できない」とも言えるかも。アートのスタートである宗教となんだか話が近くなった。
ポジティブなことがネガティブになる話は分かるんだけど、言葉の意味が反転してポジティブがネガティブになり、ならそれはネガティブなんじゃない?じゃあネガティブって言うともう一回反転してポジはポジ、ネガはネガになり…、うん?あれ?どっちがどっちで…と混乱する(笑) でも、例えば昔は夜に爪を切るのはネガティブだったけど、今はそんな感覚はないとか、なんでもきっちり意味が反転するというより、意味も睡眠の深さみたいに、上下か左右か分からないけど、ゆらゆら動いていくんだろうな。
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