時代の魅力

20世紀末の若い時分の自分は時代に憧れて、その時代に付いて行きたいと思っていた。
それから21世紀になって、自分で自分こそが時代を作りたいって願望に変化した。
令和の今は自分が時代に縛られたくないと思ってる。

時代に自分が縛られると、無理に自分を時代に合わせてる気がして、なんだかとても窮屈なんだ。

だからって、時代を作るって(作れるかどうかはともかく)、やっぱりその時代の感覚にまずは敏感にならなくちゃいけないわけで、それはなんだかとても疲れるのだ。

では、時代に憧れるって段階までに自分が戻れるかというと、やっぱり憧れる対象の事物が、何を見ても、何を体験しても、今の時代にほとんど見当たら無いのだ。

うーん、やはり自分が歳取っただけなのかなあ。自分の感受性が摩耗しちゃったのかなあ。

でも、過去の時代から今の時代に残ってるものは、何を見ても、何を体験しても、やはりドキドキするんだよな。

これって、どういうことなのだろう?
この自分の中の変化って、自分の加齢ってことかもしれないけど、でも、今の時代の魅力自体がどんどん失われてきてるからな気もするのです。


角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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