そんなことを日々続けていると、そのうちにもともと自分の中にあったはずの「何がよくて何が悪いのか」という基本的な価値基準のようなものが、だんだん揺らいで、不明確になってくる。
これは本当です。モーテルというイメージが頭に浮かぶと、ほとんど同時に思考力にすうっとミルク色の霧のようなものがかかり、僕らはものすごく長いパイプのような格好をした「継続性」の中に呑み込まれていくことになる。そこでは時間は金太郎飴のように流れる。前と後の違いがわからなくなってくる。昨日と明日の違いがわからなくなってくる。日常と非日常の違いがわからなくなってくる。感動と無感動の違いがわからなくなってくる。
[アメリカ大陸を横断しよう p248]
僕は今、神奈川県の海岸の町に家を持って、東京とこの町を行き来して暮らしているのだが、この海岸の町は僕にーそれは残念といえば、とても残念なことなのだがー今では故郷より故郷を思い出させてくれる。そこにはまだ泳げる海岸があり、緑の山がある。僕はそういうものを、僕なりに護っていきたいと思っている。過ぎ去ってしまった風景は、もう二度と戻らないのだから。人の手によっていったん解き放たれた暴力装置は、決して遡行はしないのだから。
[神戸まで歩く p278]
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