新しい『ノストラダムスの大予言』

今朝ツイッターを見ていたら、こんな記事が流れてきた。

「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」というノストラダムスの予言を紹介した、70年代の超ベストセラー『ノストラダムスの大予言』の著者・五島勉さんのインタビューだ。

とても素晴らしかった。

このインタビューの中で、五島さんがこう答えている。

「当時の子どもたちがね。まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。ノイローゼになったり、やけっぱちになったりした人もいて、そんな手紙をもらったり、詰問されたりしたこともずいぶんありました。それは本当に申し訳ない。当時の子どもたちには謝りたい。」


はい、その子どもが、まさに僕です!

1973年出版というのは僕が3歳の時で、僕がちょうど小学生になった頃、多分父が買ったのだろう、家にあったので、それが気になりたまたま手にとって読んだ。もう食い入るように読んだ。何回も読んだ。続編も続々編も自分で買って読んだ。映画も観た。そこに書いてある驚愕の事実に衝撃を受け、「1999年に世界は滅亡する」と、それから信じて生きてきた。


僕はノイローゼになりはしなかったけど、でもそのときに、今に続く僕の終末観っていうのは醸造されたんだと思う。

実際、その本には、戦争、公害、食料問題、エネルギー問題、さまざまな今の人類の問題について、過去のローマ帝国の滅亡と照らし合わせて、書かれていた。

それを読んで、本当になんとかしなきゃいけない!って思わされたのも確かだ。悲劇の終末観を持ったからこそ、自分たちでその終末がやってこないように努力しなきゃいけないんだって、なんとなく前向きに思うようになったのだ。

そして、ノストラダムスが書いた予言の詩は、古代ローマ帝国のことを書いていることを知り、ローマ帝国ってなんだろう?って知りたくなり、それが僕の大学で世界史を専攻する遠縁になったんだと思う。

つまり僕は、この『ノストラダムスの大予言』にばりばり影響を受けたノストラダムス・チルドレンなのだ。


そして、昭和から平成に変わり、90年代に入って、僕は成人して、テレビ局にも入り、1999年7月が近づくにつれ、それが近づくのにドキドキした恐怖心とともに、どう世界が反応するか?を興味深く待ち望んだ90年代だったと思う。

その頃はさすがに、その予言を信じこんでいたわけではないし、89年に東西冷戦が終わったから、世界最終戦争が起こるって雰囲気は無くなっていたけれども、でも地球温暖化が叫ばれて、環境問題が真剣にやばいなー、と思いながら、バラエティ番組をシコシコ作っていた。

僕はテレビマンだから、その時分思ったものだ。

実際に99年に世界が滅亡するかはともかく、また99年の2、3年前になったら、「あと数年で世界は滅ぶ」的な、新たなノストラダムスの大予言ブームがやってくるんじゃないか?って、テレビも雑誌もどんどん取り上げるんだって、なんなら五島さんが新刊を出すんじゃないかって、そう僕は予言したのだ。


でも実際99年が近づいても、世間は「ノストラダムスの大予言」の話を一切しなかった。


単に忘れていたのか、70年代にわいわいしちゃったのが恥ずかしかったからか、テレビをはじめどのメディアもほとんどそのことにふれなかったと思う。僕が職場でそのことを話題にしても、誰一人食いついた人はいなかったな。

そして無事、世界は99年7月を迎えた。世界は終わらなかった。(その後2000年問題で、世界は騒然とするんだけどね。)

僕はその瞬間、再び「ノストラダムスの大予言」に影響を受けたことになる。

つまり、メディアが鼓舞することは、その瞬間にその瞬間だけを切り取った存在で、実は未来も過去も語っていないんだって。

未来を語ることは、その瞬間の、その瞬間に一番盛り上がりそうな、語り口で切り取られたことだし、

過去を語ることは、その瞬間の、その瞬間に一番都合が良いような、視点から切り取られるものなのだ。


これは僕の、メディア批判でもないし礼賛でももちろんない。

メディアというのは、単純に、そういうものなのだ。だからmedia=媒介なのだ。

僕らはメディアに乗っかる前の『なにか』=歴史だったり、社会だったり、生活だったり、人生だったり、夢だったり、を都合よく、切り取り、切り取られ、生きて行くのだ。

ただその時にそんなことを思ったことが、僕がテレビというメディアの中で、テレビという箱の中で、その「なにか」を弄んで生きていくだけじゃなんか物足りないな、って思ったきっかけになったのかもしれない。

「なにか」を切り取って、視聴率を取った、話題になった、ということじゃなく、僕がリアルな「なにか」にならなければいけないんじゃないか?ってその時思ったのだ。

メディアからリアルになりたいと思ったきっかけかもしれない。


そして、それから19年たって、今すごく思うのだ。

2011年3月の原発事故以来、この終末観がどんどんリアルになって来ていると思う。

そして昨年2017年も、北朝鮮のミサイルはじめ、世界のいたるところで起こる問題が、よりリアルに迫って来ている。

2018年は、これからどうなるんだろう?


五島氏は、先のインタビューで、こう話されている。

みんな一緒になって行動しようとか、よく言うじゃないですか。だけど、やはり一人一人が終末的な状況と向き合って、各自それぞれのやり方で、そこから脱出することを考えておいたほうがいいな、と。 

「終末を思う」というのは、自分の家族とか一番大事な人たちをどうやって守るかということなんですよ。この時代、​誰も守ってくれないわけですから。 


「終末を思え、終末の先を切り開け、道は開かれる」


五島勉さんのこの新たな予言が、その鍵を握っているんじゃないだろうか。

















角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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