自由と自由

丑三つ時。
知人から送られてきた著作原稿を読む。
色々考えさせられる。

何を見ても聴いても体験してもものすごく考えさせられる。
若い頃はやり過ごしてた些細なことも今はずしんと重かったりする。
そして答えなんか出ない。
はっきりしたものなんて何にもないんだってようやく気づいたのかもしれない。
「これはこうだ」
「それはそうあるべきだ」
昨日の僕はそう思ったかもしれない。
昨日の貴方にはそう見えたかもしれない。
でも今は違ったりする。
でも明日はまた変わるかもしれない。
元に戻ったりもする。
ほとんどのことはそうなっているんだ。
決めつけや決めごとなんてその人自身のその瞬間の思い込みでしかない。

そういう意味で、僕らは自由だ。
何に固執しても、何に変化しても自由だ。
同様に他人がどう思っても、どう行動しても、自由なんだ。
その個人の自由を、個人同士の時、個人と社会の中で、どう折り合いをつけるか?
その線引きがとても難しくなってる。今までのルールが通用しなくなってきてるから。
リアル社会、会社、学校、マスコミ、芸能界、政界、ネット社会、国家、いろんな場所で自由が自由じゃなくなってる。

かつて文明開化で自由と名付けられた単語にはfreedomとlibertyがあるけど、本当は意味が違う。
freedomは“最初からある自由”で
libertyは“掴み取った自由”であるらしい。

情報革命進行中で社会が激変してる今、この二つを区分できるような既存の“自由”とは違う“自由”を意味する単語を作る必要があると思う。

じゃないと相手の自由と自分の自由を履き替えられてしまう。
個人の自由と全体の自由が履き変えられてしまう。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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