人はなぜ崩壊の力学に引っ張られてしまうのか?

人は崩壊していくとわかっていて、なぜその崩壊をとめられないんだろう? 

人のあらゆる行為の中で個人とか家族とか学校とか会社とか社会とか地球とかで、よくそういう『崩壊の力学に引っ張られてしまう』状況を直接に間接に目の当たりにするのだけど。どういうことかというと、こうした方がきっと『未来的には、絶対プラス』ってことが、なんか知らんが、その判断の瞬間には、なぜか、違う方を選択してしまう・・・という類いの話。そう思ったこと、体験したこと、自分がやってしまったこと、皆さんはありませんか?

何かを選択して決断するとき、勝算が五分五分の時、結果間違えた選択をしてしまったのは、しょうがないないと思うんです、それは。結果は神様しか知らないし、要するに結果論だし、所詮。

そういうのじゃなくて、僕が言ってるのは、絶対正しいだろうAを選ぶべきことなのに、間違ってるだろうBを選んでしまうのは、何故かということ。

何故なんだろう?この話を知り合いの女性にしたら、「絶対顔洗って寝たほうがよいのに、寝るのを選択してしまって、翌朝激しく後悔する」とか?って言われました(笑)

うん、でもそういうことかな、小さい方の例えで言うと。

大きい方の例えだと、核ミサイル開発競争とか、会社の偽装発覚したとき、最初の会見では、ミニマムに被害報告してしまうとか。消えた年金への対応とかもそう。これらだって

ちゃんとメイクを落としてから寝る」だの

「核開発しない方へ話を持ってく」だの

「最初から洗い浚い全部会見でしゃべっちゃう」だの

「『名よせは無理です。すいません』と言っちゃう!」とかの

選択の方が絶対的に未来的にはプラスだと思うんです。

少なくとも、もろもろ崩壊しない。

でも人は

「洗わないで寝たり」

「沽券に拘って軍拡したり」

「偽装はパートがやったんです」って会見したり、

「何億円かけて年金特別便、郵送したり(笑)」とかやっちゃうんだよね。

僕はそういう状況に遭遇すると、本当くだらなくて、阿呆らしくて、悲しくなります。

 なのに今日昼間、僕はそれをしでかしてしまいました。部下のあるミスに僕が現場で腹を立ててしまい、そのミスは僕が腹を立てても至極もっともなレベルであったとしても、そこは『未来的にはプラス』な方、要するに『僕が我慢して、次の作業段取りに取り敢えず進む』を選択して、事に当たるべきなのに、それがわかっているのに、僕は激怒して現場からさっさと帰ってしまいました。はあ。( ̄~

崩壊を防ぐべき立場の僕が、崩壊を後押ししてる。はあ、なんでだろう。自己嫌悪です。

人は、崩壊の力学に引っ張られてしまうものなのか?

崩壊の力学、それは人に、ある選択の瞬間に、その瞬間の快楽が強い選択の方を、即座に選択させちゃう力。

大部分の人は、特に僕は、その力に負けちゃうんだ、きっと。

そんな崩壊の力学に引っ張られてしまうと、未来なんかすぐ忘れちゃうんだ、人、そして特に僕。

だとしたら、人は、理性的でもなんでもない、ただのケダモノだね。

ていうかケダモノの方が、理性を装わないだけ、まだましだね。

ケダモノの方がよっぽど理性的。

もう崩壊してます、人。ていうか、特に僕。

反省。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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