寅さんと渥美清

葛飾区内で、仕事があり、すぐ終わったので、せっかくなんで、柴又の帝釈天に行ってきた。

僕は寅さんの大ファン!

ちなみに、一番好きなのは(全部好きだけど)『知床旅情』。

竹下景子さんが、キャンプ中に、寅さんの手を握るところ、たまらなくいいんです。

三船敏郎さんもいいし。

でも、やっぱり、どの作品にも、そういう好きなトコあります。

ちなみに、坂手洋二さんが山田洋次監督がおっしゃってたとおしゃってましたが、寅さんの最大の見せ場は、マドンナに振られて、柴又を立ち去る前に、寅とさくらが会話するシーン(よくあるのはとらやの2階で)なのだそうです!

小学生の時とか、家族で正月は決まって寅さん、映画館で見るのが恒例でした。

懐かしいな。旅行先とかでも見たし、立ち見の時もあったし。

そうそう、あのころ以後、映画立ち見で見なくなったなあ、確か最後に立ち見で見たの、『宇宙戦艦ヤマト完結編』だった気がする。

そのころ『E.T.』も立ち見ぐらい込んでたけど、地元で当時珍しく、2つの映画館でやってたから、座れるように、マイナーな空いてるほうに見に行ったもんなあ。


で、柴又、何回か行ったことがあるけど、、、やっぱり思い出すのは家族で行った、小学生のころ。

すごい混んでた。で、行ったら、本当に『とらや』って店があって、ものすごく驚いたの妙に記憶してます。映画の中では、後半『くるまや』って、名前変わるんだよね。

さっきウィキペディアで調べたら、41作目からで、柴又のある店が『とらや』と改称した以降、『くるまや』にならざるを得なくなった、って書いてあった。

その記事、どこまで信じるかは置いといても、当時、映画内で変わったの見て、子供心に『大人の事情』を感じたのであるが。

41作目ってことは、僕も結構大きくなってて、で、ウィキを信じるとすると、柴又に『とらや』が存在するのは、僕が結構大きくなってからということになり、僕が小学生のころ実際柴又で『とらや』を見た記憶と、矛盾することになるんだけど。

でも、見た記憶あるんだよな!

何でだろ?

 それは、さておき。この業界に入ったからには、いつか渥美清さんと仕事するぞ!って思ってたのでした。

で、入社2年目の夏。確か夏休み取ってて、奥飛騨温泉行ってて、宿に着いたら、テレビで、渥美清さんの突然の訃報が流れてて、ものすごく悲しくてショックでした。

亡くなったのが、ショックでしたが、それ以上に、もしかしたら、僕もがんばって偉くなったら、いつかは一緒にお仕事できる。百歩譲って、お会いできると思ってたから。悲しさも、むなしさも、数十倍で。

本当にお会いしたかったです、渥美清さん。

 そして、こんな悲しい思いは、業界に15年いて、その後何度もあり、最近でも市川崑監督、ほんの数日前の広川太一郎さん、お会いしたかったです。一緒にお仕事したかったです。ホント悲しいです。

15年もいて、お会いできるまでに、僕が成長してないのが、不甲斐ないです。

悔しいです。申し訳ありません。

だから、僕の大好きな、尊敬する方々、どうかこれ以上死なないでください。

死に物狂いでがんばるので、僕が成長するまで待っててください。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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