孤高と孤独の違い:日向山にて想う

登山をした。山梨県北杜市の日向山(ひなたやま)。

天気が素晴らしい。そして紅葉が素晴らしい。

駐車場を考えて満車だと嫌だから、スタート地点の矢立石からではなく、さらに下の尾白渓谷から。距離が長く標高が高くなる。登山初心者の僕には、それがキツかった。登っている途中に足が上がらなくなるというか、息が続かないというか、かなりキツかった。自分の重い体重を重力に逆らって持ち上げるということは、こういうことなのか? 重力を実感した。


でもキツくていちいち立ち止まるとそこは、森がすごく輝いていて、癒される。多分、人は、環境に癒されて生きていくものなんだと思った。つらい気持ちを、自然が回復してくれる。これが登山の醍醐味なのだろう。キツくて、それを体験して、その魅力がだいたいわかってきた。

いつまで登っても頂上がやってこない。行き交う下山者の方々から時折、「あとちょっと!」の声をかけていただく。でも、ぜんぜんちょっとじゃない。


そして、頂上の稜線が見えてきた。森の中から稜線に飛び出すと、石灰色の地面と、いきなりのクロマキーで抜けるような青空と、遠くの山並みが、前面に全面に広がっていた。

しばし座りながらカップ麺を食べる。カップヌードルシーフード味、こんなに美味いのか。


帰りもキツかった。特にだんだん暗くなってくる。そうか、日が暮れてくると、上からの日差しが無くなり、木漏れ日が消えてしまって、夕暮れ前なのに、すでに森は暗くなるのか、そんなことぜんぜん知らなかった。

何年生きてきたのだろう?おっさんになっても、そんなことも知らなかったなんて。


そんな下山の途中、孤独について考えていた。

結局、登山は自分一人の力で登って、降りなければならない。それは孤独だ。

そして多分、人生もそうだ。登山と人生は似ているなと思った。

だいたいキツイけど、時折、素晴らしい景色が見える。素晴らしい環境に包まれる。その素晴らしさに癒されて、勇気付けられて、また歩みを進める。人生と似ている。


そんなとき、孤高という言葉を思い出した。孤高ってどんな意味なんだろう?孤独との違いは?

スマホで孤高の英語訳を調べてみる。

aloof

とある。実は、こんな単語も初めて知った。(はじめ屋根の上ってことか、と思ったけど、屋根はroofだものね、自分の知らなさ加減にあきれる。)

”離れて”とか”遠ざかって”という意味らしい。

つまり、これは僕のあくまで見解だけど、

孤独って、周りに人がいて、その群衆の中で一人だと感じることかと思う。それが、lonely=孤独なのかなと。

孤高とは、そんな風に周りに人はいない。本当に群衆から離れて、遠ざかって、一人なのかと。

そういえば、『孤高の人』って小説があった。新田次郎の『孤高の人』。それも登山家の話だ。

つまり登山とは、孤高なのだ。

そして、人生も登山のようであるならば、人生も孤高なのだ。


人生は孤独ではない。人生は孤高で行こう。

なんか、そんなことを暗い森の中で考えていたら、麓についた。


角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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