映画『奇跡がくれた数式』見た。
《1914年、イギリス。名門ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのG・H・ハーディ教授は、当時イギリス植民地のインドから届いた1通の手紙に夢中になる。そこには著名な数学者である彼も驚く“発見”が記されていた。ハーディは差出人の事務員ラマヌジャンを大学に招聘する。ラマヌジャンは妻と離れることに胸を痛めながらも、研究を発表できる喜びに海を渡る。しかし、独学で数学を学んだため、学歴もなく身分も低いことから教授たちに拒絶され、頼りにしていたハーディも公式を証明することしか頭にない。
妻からの手紙も途絶え、孤独と闘いながらひたすら研究に身を捧げるラマヌジャンは、遂に命にかかわる重い病に倒れてしまう。ラマヌジャンを失うかもしれないと知ったハーディは、初めて彼への友情と尊敬の念に気付き、ラマヌジャンを救うために立ち上がる──。
第一次世界大戦下の激動の時代に、全てが正反対の二人が、文化と個性の違いに葛藤し、やがてそれを乗り越えて、かけがえのない絆で結ばれていく。歴史に名を残す二人の天才数学者が、今この時代に生きる私たちに、年齢や肌の色、生き方や信じるものが違っても、人は互いを思いやり、愛し合えることを教えてくれる。輝かしくも美しい二人の友情を描く涙の実話。》
インド人の天才ラマヌジャンが数学に夢中になるのは、きっとその美しさからだろう。そしてきっと彼にとって信仰も同じ。
一方で、その数学の純粋さを求めるイギリス人たち、伝統あるケンブリッジ大学の人々は、彼が植民地のインド人というだけで、彼の業績を純粋でないと”純粋に”決めつける。まあ、数学に限らずこの手の話は、それはどこにでも、いつの時代でもある話で、現代の日本でもたくさんある。
そんな中、それでもラマヌジャンのためにハーディー教授はじめ少数の人々は、純粋に彼を助けようとする。それもどこでも、いつの時代でもある話なのかもしれない。現代の日本でも、きっと少ないながらもあるはずだ。あって欲しい。
僕は、純粋に、後者でありたいと思った。純粋に何かを追い求める人でありたいし、純粋にそんな人を応援したい。
最後に、茂木健一郎さんのご友人、ぽよさんのツイート↓
奇跡がくれた数式 https://t.co/UXsicZzdaj 観てきたよ。
— ぽよ (@Poyo_F) October 29, 2016
本当に、いい映画に出会えたと思った。茂木をたずねてトリニティ・カレッジを訪れた時、この映画を観ることができていたらと思ったよ。映画ファンなら観に行かなきゃ。数学の映画だから等と思っちゃいけないよ。
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