阿部公彦『英詩のわかり方』(研究社)
素晴らしい名著。
ボクがいままで詩がわからなかったことが、この一冊を読んで氷解した。
実は、英詩というより、そもそもボクは詩というものがあまり理解できなかったのだ。
それは気持ちいい詩だなとか、かっこいいなとか、表現がすごいなとかは、人並みには思うけれど、その詩がいい詩かどうかは、ボクには全く判断できなかったのだ。
でもこの阿部公彦『英詞のわかり方』を読んで、なんとなくわかった。
つまり、そんなにわからなくていいってことが、わかったのだ。
この本の中には、阿部先生からのたくさんの至極のアドバイスがあります。
もし詩のよさに触れたければ、触れたいのに触れられないボクのような方には、本当にオススメの一冊です。
私たちが読む詩はほとんどの場合、見ず知らずの他人によって書かれています。しかも詩のテクストには、この見ず知らずの他人の体臭がたっぷりとこめられている。詩を読むとは、テクストという他人の匂いを嗅ぐようなものなのです。でもそれは同時に、テクストの他人らしさの中に、つまりその他者性を超えた場所に身を置き、さらにはそこに住んでみるということでもあります。p.2
みんなが言って欲しいことを言ってみせる。これは広告のキャッチコピーの原理です。誰もが気持ち良くして欲しいと思って生きている。そこをつく。だから金を払う。詩だって、相手を心地よくさせる。… 商売には商売の論理があって、それは詩の論理とはたぶん微妙にずれています。商売と詩がうまく共鳴する幸福な瞬間もあるのかもしれないけど、そうでない場合の方が多い。詩は商売にならないことも語る。人が聞きたくないこと、悪意や、憎悪や、病気や、詩についても語るのです。そうすると、商売は詩を抑圧し、都合の悪い部分は圧殺するかもしれない。p.59
詩は要するに力を失ったわけです。力を、そして「力」というものが隠喩する強さを、大きさを、屈強さを無くした。しかし、そのかわりに詩は弱さを、小ささを、脆弱さを得たのです。「力」を無くすことと引き替えに、詩は「力のなさ」を得た。p.62
私は、詩を読むという体験は、詩にだまされだまてあげる体験だとも思います。
語り手のやさしさにつられて中にはいっていき、意味を考え、しかめつらでうなずき、しかし、何もあたえられずに放り出されてしまうような境地。p.218
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