数日前に、久々に元いた会社(TBSテレビ)に行ったのでした。
ある芸人さんの大手事務所のマネージャーさんと仕事の件で会うことになり、数年振りくらいに電話して、
「会いましょう!この日はどうですか?」 となって、
「あ、ちょうどその日はTBSにいます!」 とマネージャーさんから答えが。
すかさず 「あ、僕はもう入館パス持ってないんで・・・」
「あ、では1階玄関で待ち合わせして合流したら赤坂サカスでお茶でもしましょう!」 となったのでした。
そうそう、昔だったらマネージャーさんとは局内の喫茶店でお茶したもんです。
で、当日の約束の時間、古巣の会社の1階正面玄関で局内から出てくるマネージャーさんを待つ。 ちなみに今TBSの正面玄関はリニューアル中で、僕がいたころとは全く変わっておしゃれオフィスのおしゃれ受付に変貌しておりました。白を基調のデザインでデカデカとしたモニター画面がバーンとあるネット企業のオフィスのような玄関。さらにちなみに1階には今までは普通に入館パスが無くても入れる喫茶があったのですが、今はリニューアル中だから無いのか、おしゃれにしたから存在自体が無くなったのかは、僕には定かでは無いですが、今やありません。
しばらくすると件のマネージャーが入館ゲートの中から出てきました。
自分の元いた会社には自分は入れず、その会社の人では無い人が社内から出てくるのを玄関で待ってるって感覚、なんか不思議な気分です。まあ、それはさておき、ご無沙汰してます、いつの間にTBS辞めたんですね的な挨拶も一通りすんで、二人してTBSを出て、すぐ横の赤坂サカスのカフェに向かったのでした。
TBSを出て、赤坂サカスに向かう通路の左手はライブハウスの赤坂ブリッツとの間にサカス広場というスペースがあります。普段イベントやったり、冬にはスケートリンクになったりします。そこを歩いていると、そのサカス広場に知った顔の人が二人いて、何か話をしていました。きっとこれからやるサカス広場でのイベントの下打ち合わせかなんかでしょう。どちらも元会社の先輩です。そして一人は元上司。つまりかなり仕事を一緒にした間柄の人。なので、打ち合わせ中に悪いな、とか思いながらも懐かしくて声をかけたのでした。
「お疲れ様です、角田です」
すると二人は、かなりびっくりしながら、
「おお、角田!!!」 とのリアクションが。
そしたら、元上司の方から、
「角田、生きてるか?」 と言われたのでした。
僕はその言葉に一瞬驚き、なんかすごくムカって来たのです。
でも隣にはマネージャーがいるし、長話もなんなんで、
「はい、生きてますよ」とだけ言って、
ほんの数十秒で別れてサカスのカフェに向かったのでした。
マネージャーさんとの打ち合わせは順調に30分くらいで済んで、僕は彼と別れて、一人帰路につきました。
そしたら、さっきの元上司の「生きてるか?」と言う言葉が僕の中で急速にリフレインしてきて、さっきなんで一瞬ムカついたのかを考え始めました。
「生きてるか?」って、生きてるよ!
それも、一生懸命生きてるよ!
まるで、遭難した人か、失踪した人か、行方不明になったかのような人が、突然目の前に現れた時のようなリアクションすんじゃねーよ!
そう感じたから、きっと僕はムカついたんだろうな。
つまり彼にとっては、自分の会社という範疇から出た人間は、遭難したか、失踪したか、行方不明になった人という認識なんだろうな。 テレビ局を出た人間は、それはつまりアウトサイダーであって、そのアウトサイダーは、安定したテレビ局の収入を持たない不安定な職業で、きっと生きてくのも大変なんだろうな、おかわいそうに。
でもそんな今やどうやって生きているのかわからない、元部下がいきなり目の前に現れた、なんだ生きてるじゃないか、てっきり死んだのかと思ってたよ!・・・とかなんとか思ったのかどうかは知らんですが、でも多かれ少なかれ元上司のそんな思いから咄嗟に出た言葉が、「生きてるか?」なんだろうなと思ったわけです。
で、そこまで考えて、また少し冷静になりました。そしてさらに僕の思考は進みました。
でもさ、僕もさ、確かに大した活躍はしてないけどさ、そこそこネットとかでは記事やインタビューがバズったりもあったりしてさ、少なくとも遭難とか失踪とか行方不明とかみたいに世の中で消息を消してるわけじゃないじゃん・・・きっとこの元上司は、ネットとか見てないんだろうな、とか思うわけです。
この元上司、仮にAさんとしましょう。確かにいい人ではあるけれど、一緒に仕事をしてた時もネットとかにはかなり疎い人ではありました。でもそんな人がネット関連の部署の上長だったりしたのですが(笑)、でもそれから2年経っても、彼はまだネットに疎いんだな、と合点したのです。
というか、でもこの話は、実はこのAさんだけじゃ無いんです。
テレビ局界隈の人と会って話すと、もうものすごくネット関連の話題に疎い人が多いんです。この日の前日も、ある有名人気番組の旧知のプロデューサーと飯を食っていたのですが、僕が先日、人狼ゲームに参加して、嘘つくとか交渉するとか、いろいろ人間関係のコミュニケーションについて勉強になったんです!・・・という話をしようと話し始めたら、なんと、
「人狼って何ですか?」 って答えが返ってきたのです。
僕はマジでびっくりしたのでした。人狼の、例えば派生系の「“人狼 ザ・ライブプレイングシアター”の宇宙兄弟バージョンが・・・」的な話を僕がし始めたら、「それって、何ですか?」ならまだ理解できます。
でもですよ!結構人気の、それも結構今という情報を切り取るのタイプの番組のプロデューサーが、「人狼ってなんですか?」って、おいおいおいおい、本当に大丈夫か?テレビ!ってそれこそ心配になってしまうのです。
つまり、僕はこの人気番組のプロデューサーと話した時も、元上司Aさんと挨拶した時も、実は「生きてるか?」って声をかけたいのは、僕の方なんじゃないか?って気づいたのでした。
テレビ、もう終わってないか。
いや、よく巷で、それこそネットで叫ばれてるような、いわゆる昔から一定数あるタイプの「テレビ、終わってないか」では無く、もうもっと根源的に、そんな感じの“自分たちの範疇にあるものだけが文化”、“自分たちがテレビのフレームで扱うものだけが情報”っていう感じの、そしてその感覚がそれこそ終わってるって気付いてない、その自覚すらない人が、いっぱいいっぱいいるテレビの中。それこそ、そんな中で生きている人たちに、僕の方から、テレビの果てから 「生きてるか?」 って声をかけたいわけなのですよ。
で、そんな思いに至った挙句、僕はさらに1年前のある出来事を思い出したのでした。
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