甘えた眠たいことを書いてます:水道橋博士のメルマ旬報る組vol.129

今これを書いているのは8月20日の早朝、つまり今日発行の日です。
つまり締め切りをとうに過ぎ、それでも今までは前日までにはなんとかあげ続けていた文章、まだ書いていません。(水道橋博士、原カントくん、関係者の皆さますみません。今高速で書いています)
 
まあ、理由はいろいろあるのです。
つまり物理的に書けないか、精神的に書けないか。
物理的に書けないのは、はい、それは“いいわけ”ですね。それを見越して時間を作ればいいわけですから。そして実際そういう時間は作れたわけです。
問題は精神的に書けない時ですね。
これは闇が深いです。
自分が落ちているからとか、書くことがないとか、その理由はいろいろあるのですが、
今回でいうと、
「書きたいことはあるのに書きたくない」。
 
なぜかというと、何かを書くというのは、自分の意見や思いを表明することですよね。
でも、じゃあなぜそれを表明するかというと、これ、いろいろ考えたのですが、というか考えてたら時間がかかっちゃったんですが、多分自分がそう感じたから、という理由以上に理由がない。
 
でも、それを表明したことは、それを相手に伝えたいか、というと実はそうでもなかったりするのです。
これは多分に僕の性格的なことなのですが、つまり僕はそんなに他人に対して啓蒙的な教育的な指向がないのです。
君はこうするべきだ!
とか、
社会はこうあるべきだ!
とか、
そりゃ自分の思いを書くと多かれ少なかれそういう言い方にはなるんですけど、それを相手に押し付けたりしたくないわけです。
 
なぜなら、自分が押し付けられたくないから。
でも僕は他人の意見を聞くのが好きです。他人の書いた本を読むのが好きです。つまり、他人に押し付けられるのではなく、自分から他人の思いに自分の意思でアクセスしたいのです。
なので新刊のタイトルも“提案”なのです。
別に僕の提案ですよ!受け入れようが受け入れまいが、それは皆さまの自由ですよ!
という甘い眠たいスタンスなのです。
 
で、そういう指向の趣向を、無意識にも他人に求めちゃうんだと思います。
つまり、僕の言ったことが、嫌ならば
「そんなに僕の言っていること、信じなきゃいいのに!」と。
「嫌なら、読まなきゃいいのに」と。
そんな風に思ってしまいます。
これ、実はテレビを作っている時も、僕の根本にある考え方です。
「そんなに嫌なら、見なきゃいいのに」
サラリーマン時代はなかなか言えなかったですが、でもそう思いながら実は作ってました。
 
でもこれアンビバレントな思いですよね。
「角田さんの言っていること、大好きです」とか、
「角田さんの文章読みたいです」
と言われると、それはもう、天にも昇る気持ちです、超嬉しいです。
つまり、褒められたいけど、けなされたくない。
はい、甘えです、眠たいことを言ってます。
これ、ほんとそうなのです。
「そんなにけなされるのが嫌なら、書かなきゃいいじゃん!」
はい、その通りだと思います。 

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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