バッファとは決めつけないこと

あくまで個人的な気持ち。

僕はどんな関係の人にでも叩かれるのは嫌だなあ。

その人のことを、例え尊敬してたとしても、師匠だとしても、愛のムチだとしても。

それは僕が他人とそんなに深い関係になりたくないって深層心理があるからかも。

決して人嫌いじゃないと思うんだけど、つるむのとか苦手なのだ。

テレビ業界っていまだに徒弟制度だから(叩いてもいい様な)そんな深い人間関係が必要な職場だったりしたけど、それに抗いながら過ごした20年超だった。

むしろ抗い始め第一世代だったかも。
新人類だし。

でもなんとかやってこれた。
上下関係や組織のルールに拘束されなくたって生きていけると思ってる。

でもそれって無鉄砲に組織や社会のルールを破壊しろってことでもないと思う。

過剰に束縛されるのが嫌なのと同等に過剰に否定するのも嫌だな。
緩やかな関係とでもいうか、繋がりにバッファ(遊び)があるとでもいうか。

組織や社会が破綻しないくらいの緩やかさ。
個人が崩壊しないくらいの締め付け感。

バッファを持つ、それってつまり他人のことも自分のことも社会のことも何でも決めつけないってことなんじゃないだろうか。

あいつは◯◯だ。あいつはバカだ。あいつはズルい。本当にそうだろうか?

自分は◯◯だ。本当にそうだろうか?

男はこうだ、女はこうだ。本当にそうだろうか?

敵が味方か?

例え今日そうでも明日違うかもしれないし。

思考と身体と関係性にバッファを持つ。
“決めつけバカ”にはなりたくないな。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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