“何かを生み出したい”と“何かを生み出さずにはいられない”の差

“何かを生み出したい”と“何かを生み出さずにはいられない”の差を、歳食ってから最近よく考える。
小さい頃から「あれをやりたい、これをやりたい」そんないろんな想いがよぎった人生だったけどね。
つくづく想うのは、
“何かを生み出したい”程度なら趣味でいいし、むしろ趣味の方がいい。
“何かを生み出さずにはいられない”にまでなっちゃったモノコトが、その人の人生ソノモノなんだろうな、よくも悪くも。
でもそれが見つかることは、その人の人生にとって、幸なのか不幸なのか?
だって生み出さずにはいられなくても、
生み出す能力が無いかもしれないからね。
生み出したモノコトが大したモノじゃないかもしれないしね。
それって自分の人生なんて大したモノじゃなかったんだって気付くコトだしね。
これは、こたえるよね。
だからって、今更やめるわけにはいかないのだよ。
だって、“生み出したい”じゃなくて、“生み出さずにはいられない”わけだから。

高校生の頃『少年ジャンプ』よく読んでたけど、作品はおもしろくて好きでも、なぜかそこに流れるテーマ“努力友情勝利”がどうしても好きになれなかった。
どれも強制されてる気がして。
努力を強いられ、友情を強いられ、結果勝利を強いられるというか。
同じ頃に中公文庫『世界の歴史』のフランス革命の巻を読んで“自由平等博愛”にはスーッと納得したのだった。

多分自分はひねくれてるんだろうな。
でも個人が自由にひねくれるのを許す自由が社会にあって欲しいし、
誰のひねくれてる感情も平等に扱われる社会であって欲しいし、
ひねくれてる人にやさしさを向けるような博愛な社会であったらいいなと想う。
そんな性分は今も変わらないと想う。

そんな想いを抱きながら、結局僕は何を生み出さずにはいられないのだろう?

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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