自由という不自由からの脱却

「好きにして」「自由にして」「任せます」と言う(エライ)人の前で本当に好きに自由に言動を行うとだいたい否定される。

つまり(エライ)人は、相手に任せて出てきた言動でどれくらいの人物なのか無意識にor故意に判断してるのだ。
でも結局自分の経験則で判定するからむしろ自由度は物凄く低い。
「好きにして」「自由にして」「任せます」と相手に言う(エライ)人はだいたい自分で決めるの面倒くさいから言ったりする。

でも本当に自分の想像外の言動を求めて言ったりしてる時もあるのだ。
この2つの差を瞬時に把握できると、(エライ)人との人間関係が構築できるんだと思う。。。難しいけど。

モノコトを決めるのは難しいし労力いるし時に面倒くさいから、皆だいたいイヤがる。
そんな時の逃げの「好きにして」「自由にして」「任せます」と言う発言がどうにも嫌だ。
その他者への委任は何もモノコトを産み出さないから。
「好きにして」「自由にして」「任せます」と言うなら、本当にそうさせる気概を持ちたい。

逆に「なんでもやります」とか答える人はだいたい何にもやらない。
つまりやるべきことが自分で見出せてないから他人に「なんでもやります」と答えてるだけなのだ。

でも本当に「なんでもやる」との気概を持ってる人も少なからずいる。
この2つの差を即座に見抜けると、仕事は上手く回ったりする。。。難しいけど。

と言うことで、、、僕が「好きにして」「自由にして」「任せます」と言ったなら、本当に相手に「好きにして」「自由にして」とお任せしたい!
少なくともそうじゃないなら言わないにしよう。
そして僕が「なんでもやります」と言ったら本当になんでもやろうと思う。。。どっちもなかなか言えないけど(笑)

と考えると、人間関係の中で人生を好きにしたり自由にしたりするのも、共同体や組織の中で何かを任されたりするのも、結局相手や上司や職場などの環境以上に自分次第なのだ。
相手に自分がどう思われるか? 
相手を自分がどう思うか?
も含めて自分次第だから。
自分がおかれた環境で何を選択するか?
、、、なんか色々つぶやいてても結局ごくごく当たり前のことをつぶやいてるだけのような(笑) 

つまり一番シンプルに当たり前のことが実は環境や他者のバイアスがかかると途端にできにくくなるのかも。
それが社会や会社での人間関係のストレスの原因なんだろうな。。。ってまた当たり前のことをつぶやいてる(笑)

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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