最近、どんな想いも言葉にされて発話されたり解説されてしまうことに窮屈さや息苦しさを感じてしまう。ただその人がそう想ったじゃダメなのだろうか。
それへ反論が必要なのだろうか?
それの根拠が必要なのだろうか?
それは同意されなければいけないのだろうか?
ただ好きじゃダメなのだろうか?
なんていうか、ダメなヒト・モノ・コトに、たまらなく愛おしさを感じてしまうのだ。その愛おしさは、むしろダメだからこそ、この世界での存在意義があるのだ。へこたれる自分、わがままな自分、うまくできない自分、それらが過去と現在と未来をどうせ生み出していくわけだから、それらと共存したいのだ。
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