上橋菜穂子『物語ること、生きること』素晴らしい本だ。
アップルシードエージェンシー鬼塚忠さんがFBで紹介してて読んでみたら止まらない。
物語と人生が詰まってる本。上橋さん、かっこいい女性は本当かっこいい、憧れます。
私も、自然の代弁者になりたいと願いながら、実際は文明の恩恵を受けて暮らしていました。
自然を守ろう、環境破壊はいけないことだというのは簡単で、まったく正しいことのように思えますが、電気を使い、文明がもたらす便利さを享受しているのは、ほかならぬ自分たちであることも、見逃すわけにはいきません。
境界線上に立つ、というのは、たとえば、そういうことです。
どちらが一方が正しいと信じこんで、疑いもしない人間は、もう一方を、理解しがたい他者として糾弾して排斥しようとするかもしれない。理想を掲げて声高に自分の主張をする人間は、しばしば、そういう己の傲慢さにきづかないものです。p76
自分は正しい。そう強く思う時ときほど、注意深くなろう。物事は、深く考えれば考えるほど、どちらとも言えなくなるのだから。p77
どちらか一方での側からだけでは、見えない景色があるのです。境界線の上に立つ人は、それを見ているのだと思います。
だから孤独だし、人から理解してもらえないこともあると思います。P78
壁の向こう側に広がっているのは〈フロンティア〉です。
境界線の向こう側には、まだ見ぬ地がある。
もしかしたら「生きる」ということ、それ自体が、フロント=最前線に立つことなのかもしれない、と思ったりします。それぞれの生い立ちや境遇や、すごくいろんなものを抱えて、私たちは、いま、出会っている。誰もが自分の命の最前線に立っているのなら、それぞれに境界線を揺らす力、境界線の向こう側に超えてゆく力を持っているんじゃないか。
相手を否定したり、恐れたり、あるいは自分の領分を守るために境界線を強くするのではなく、境界線を超えて交わっていこうとする気持ちを持てたら、どんなにいいだろう。p84
私は「私って、何?」ということよりも「人間って、何?」ということに関心がありました。p98
文化人類学というのは、つねに「これでわかったと思ったらいけない」という戒めが心の中にありつづける学問なのです。p119
まず夢を見る。それを頭の中で描いてみる。でも現実が「違うよ」と教えてくれる、その瞬間、パッと何かをつかまえる。ほかの誰でもない、私だけの真実を。
そうやって自分が享受した体験を、特別なものとして刈りとっては、物語に生かしてきたのだと思います。p180
物語を書くことは、その一言では言えなかったこと、うまく言葉にできなくて、捨ててしまったことを、全部、ひとつひとつ拾い集めて、本当に伝えたかったのはこういうことなのだと、かたちにすることなのだと思います。
物語にしないと、とても伝えきれないものを、人は、それぞれに抱えている。
だからこそ、神話のむかしからたくさんの物語が語られてきたのだと思うのです。p184
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