他人と合わせる必要はあるのか?

コミュニケーションは本当に難しい。
押し引き、押してないのに押してるように思われたり、引いてないのに引いてるように思われたり。
絶妙な距離感っていうのはその瞬間の現象で、どんな人とでもその増減が必ず生じるし。
他人のことを気にしないで生きるって思っても、そのことをずーっと気にしてるし。

他人のこと(言動、評判、評価)を気にしてる人ばっかし。
あるいは他人のことを気にしろと強制されることばっかし。
もう嫌だ。疲れる。
というより、もう気にする必要ないかなと(自分の人生では)むしろ想う。
他人のことを気にするんじゃなくて、他人のことを愛せる人にはなりたいけれど。

他人のことを気にすることより、他人のことを気にしろと言われることの方が疲れるな。
自分でも自分が気にする程度には言われなくてもするし、貴方が気にする程度ほどは気にしたくないし。
つまりそのことの善悪より、他人と程度を合わせることに腐心することに嫌気がさす。

もうほとほと嫌なので、僕は他人と程度を合わせないことにします(もともとそんなに合わせてないけど)。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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