気持ち悪い人とは関わりたくないだけなのだ

これはあくまで僕自身のことですが、
僕は褒められたら頑張れるし、助けてくれたら感謝しかない。
逆に怒られると凹むし、やる気がなくなるし、攻撃してきた人のことは絶対に助けない。攻撃し返すかはともかく、そんな人のこと少なくとも助けたくもない。
で、僕以外の人も薄々そうなんじゃないかと思ってるので、僕は他人を褒めることと助けることしかしたくないのだ。

だから自分が思う正義を他人に押し付けるべきではないと思うし、他人の行為に対して(自分に被害が無いなら)他人に改善を求めようとも思わない。
だって、そんなに自分が信じることが大事なら自分で(自分が)やればいいじゃん!と心底思ってる。
でも孤高で生きていたいってわけではなく、自分を大事にしてくれる人のためなら頑張れるし応援もする。


なので、あなたが信じる正義を(たとえ僕が正義だと思ってることとたまたま同じだとしても)そんなに気持ちいい言い方で言われなかったり応援してくれないのなら、その人の正義と同調しようという気持ちはさらさら無いのです、僕はね。

で、人はだいだいそういう生き物なんじゃないかとここまで生きてきて、僕は薄々実感もしてる。


つまり、この上記のことがわかることを道理と(僕は)呼んでいます。


そして、人には自分にとって“気持ちいい他人”と“気持ち悪い他人”がいるんだろうと思うのです。
その気持ちいい悪いはそれこそ人それぞれ。
というか、人それぞれでよいと思う。
というか人それぞれじゃなきゃ嫌だ。


僕の中での、その気持ちいいと悪いの判断基準は、肩書きや人種や能力なんかじゃ毛頭無くて、この道理が有るか無いかでしか無いのです。
たとえどんなに頭脳明晰で正しいことを言っていても、その言い方が嫌な言い方なら、僕はその人に道理がないなあ、気持ち悪いなあ、関わりたくないなあ、と感じてしまう。


僕は自分が気持ち悪い人とは本気で関わりたく無い。
皆も薄々そうだと思うのだけれど、こればっかりは予想でしかないので、この考え方を一般化しようなんてことも、さらさら思わない。
ただ、本当に本当に気持ち悪い人とは、関わりたくないだけなのだ。

ていうか、その気持ち悪さに我慢できるような才覚が備わった人間なら、そもそも会社辞めてないわけです。

つまり僕が気持ちの悪い人=道理がない人は、本当に本当にリアルでもネットでも寄ってきて欲しくないわけなのです。

角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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