等身大の自分にポジションはもはや関係無いのだ

かつて業界の偉い人に「俺へのレスペクトが足りない」と烈火のごとく怒られたことがある。
自分のことをレスペクトしろという人をレスペクトはできない。

今日「俺の所属は○○なんだけど」と恫喝された。
なので「だから何?」と言ってやった。
もう上からのポジショントーク(しかできない奴)、死ぬほど面倒くさい。

縁と恩は繋がってる。
上からのポジション的恫喝する人はその人にとってどんなに下(に思ってる)人でも、少なくともその恫喝で、縁と恩を断ち切ったことになる。
恫喝された方は、そいつがどんなに上(に思ってる)人でも縁を切るし、恩は(あっても)返さない。
そしてどんなポジション関係もすぐに変化するし、やがて逆転する。
月が満ち欠けするように。

(とてもダサいそして旧態依然な)上からのポジション的な恫喝は効かないよだよ。
だって僕は会社辞めたんだから。
それで失うポジションなんて、もはや僕には無いのだから。
というかそもそもそんなポジショントークばかりの人々が嫌だから、組織を辞めたのだから。
というかそういう時代は過ぎたのだから。

そんな風に組織をやめて、初対面で誰かと会ったりすると、僕を事前に知ってる(調べてる)人と知らない人の接しられ方の違いが顕著になってきてるなとも感じる。
丁寧or粗雑。
以前は良くも悪くも会社の肩書きで判断されてたのだろう、あまり大差がなかった。
個人の名前で生きるとは、そういうレッテルを貼られることだと改めて知ったりもした。

組織の中では個人は“かけがえのないモノ”にはなれない。
何故なら、その個人が無くても成立することこそが組織の存立意義だから。

でも組織の外では、個人はもっと“かげがえのあるモノ”なのだ、代わりは幾らでもいるから。

つまり自分自身の中にかげがえのないモノが無ければ、自分はかけがえのない者にはなれない。

自分の中のかけがえのないモノはなんだろう?
いい歳してそれを探してる日々。
いい歳して自分探し。
会社辞めてまでして探してる。
番組作ったり書き物したりして探してる。

でも実は僕にとってのかけがえのないモノとは、常にかけがえのないモノを探してる、という好奇心しか無い様な気がするのだ。

若い頃は夢と希望とやりたいことに溢れてて、自分のスキルや立場が追いついてなかった。
でも年々歳食ってスキルや立場が上がってきて、むしろやれないことがわかってくる。
そして夢と希望とやりたいことが等身大になってきた。
等身大のスキルと等身大の立場で等身大のやりたいことをやる。
今やる。
そこに、上だの下だのポジションは関係ない。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

0コメント

  • 1000 / 1000