パロディと劣化コピーとテレビマンの矜持

今朝何気なくテレビを見てたら、羽鳥アナの朝番組で京瓦職人のドキュメントやっていた。
内容はおもしろいんだけど、
編集のテロップやSEでNHKの『プロフェッショナル』をパクったりしてる。

→このパクリ全然いらない。
むしろパクることで品位が下がる。

多分そんなことに無自覚で作ってて、すごく残念。
パロディをする意味がない。

でもですね、
この(僕も含めた)テレビマン、番組制作者の他番組をパロディしちゃう無自覚さ、根が深いのです。
だって無自覚だから。

職人のドキュメントやると自動的に『プロフェッショナル』だったり『情熱大陸』と同じような編集や音効をつける。

パロディとはそれを敢えてパロディにするからおもしろいのに、気づかないでしてるのはただの劣化コピー。

よく番組制作現場であるんだけど、“他番組がやってるからこんな編集しましょう”みたいな無自覚な行動。
例えば昔はリアクションワイプ入れるか入れないか各ディレクターが恣意的に決めていた。
今やリアクションワイプ入れるのが業界のデファクトスタンダードになってる。
入れる入れないを各自が吟味して入れてるならいいんだけど、無自覚に入れてる病理。
根が深い。

これってテレビ業界だけでなく、同業他社の製品やコンテンツに無自覚に追随するって病理。
ホント根が深い。
だって無自覚だから。

“大量消費社会”ならそれでも成立したのかもしれないけど、でも今や“適量体験社会”では、多様性があることが製品やコンテンツの存在意義だと思う。
そこに気づいてない会社や人は大量消費社会と共に沈むと思う。

他者に合わせることをよしとする社会=日本。

それは20世紀の“大量生産・大量広告・大量消費社会”ではまだ有効だったと思う。
けどその合わせるスタンダードがもはや通用し無くなってきてる21世紀の“適量生産・適量告広・適量体験”社会なのに、既存のスタンダードに無自覚に合わせようとする無自覚さ、闇が深い。

例えばリクルートスーツとかも典型。
これはリクルートスーツを着てる学生さんに問題があるというより、リクルートスーツを着させることを、他者に追随して無自覚にさせてる我々大人たちに問題があると思う。

話が戻るけど、羽鳥アナが取材してた京瓦の職人さんの仕事や技術や考え方のイノベーションは、ホント素晴らしかった。伝統工芸なのに、いや伝統工芸だからこそできる、“多様性”を追求していた。

なのにそれを紹介する番組は、全然イノベーションが無いという残念感。

本当に残念。
自戒を込めて。

もし僕らテレビマンが少しでもクリエイターでありたいのなら、そのことに気付くべき。不断の努力をすべき。

この前ゲームクリエイターのイシイジロウさんと対談して、MCの方に
「お二人の代表作は?」
と訊かれた。
僕は
「無いです」
と答えた。
だって“からくりTV”はさんまさんのモノだし“金スマ”は中居さんや出演者のモノ。

所詮テレビマンなんてそんな類の存在で、クリエイターですらないのではと思えてしまうけどね。

でも、クリエイターとしての矜持は持っていたい。
持ったまま生を全うしたい。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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