いくら“おもしろいこと”を考えていても誰も聞いてなければそれは実現しない

自分のアタマの中の“おもしろいこと”が実現するかって、そのおもしろさ自体の優劣よりも、皆に発するタイミングの方が大事だったりする、良くも悪くも。
つまり、いくら“おもしろいこと”を考えていても誰も聞いてなければそれは実現しない。

でもこの良くも悪くもって、ホントに良くも悪くもで、むしろ啓発本の類はだからタイミングを計るコミュニケーションのテクニック論的なもの・マーケティング的なものが多い(気がする)。皆も会社や社会でコミュニケーションの円滑化に日々忠心してる、良くも悪くも。

それって良く言えば、おもしろさの本質はコミュニケーションだとも言える。だから自分の頭の中にインプットしたモノをどう脳内(体内)で醸造させ、窯変させ、あらゆる言動やコンテンツや企画やモノコトとしてアウトプットするのか? むしろアウトプットのやり方が肝要だということだ。
インプットとアウトプット、両方持つインタラクティブ性が、“おもしろいこと”の実現の鍵だと言える。

でも悪く言えば、コミュニケーション上手な“おもしろいこと”しか実現しないとも言える。
なーんか、難しい。。。なんかそれって僕は違和感を覚えてしまう。
それは、得てしてコミュニケーションが先行して、“おもしろいこと”が置き去りにされたりするから。

例えば、“おもしろいこと”を考えてる人が集まると、そのおもしろさが相乗効果で指数関数的におもしろくなることもあるんだけど、各人のおもしろさが渋滞してしまって、話が散漫になったりもする。
前者になるか後者になるかはまさにその時次第で、僕の職業のテレビ収録は前者を常に目指すんだけど、後者になると本当に残念。それは失敗した収録だと言える。

そしてテレビの収録じゃなくて、(あくまで僕の経験的にだけど)おもしろいこと考えてる人が集まる飲み会 は後者なことが多いんだよな。
パーティだとほぼ後者。
立食パーティーだとほぼ100%後者。

まあそれくらい前者は奇跡的ってことだとも言える、でもそれをテレビ収録では連発させる(なんなら毎回)ってのが、テレビマンの現場での腕の見せ所なのだと思う。

僕はプロデューサーとして、テレビの収録現場では常に前者を目指してるから、収録じゃない飲み会や打ち合わせ、なんならプライベートな会でも、無意識に前者を目指してしまう。それは多分もう職業病。治らない。

なので後者になりそうな催しが、僕はなんとなく苦手なのだ。なんか楽しいことやりましょう!の掛け声だけの飲み会や打ち合わせが本当に苦手。
そんな場では、コミュニケーションが全てみたくなって、もう何も生産的な話にならなかったりするから。人脈できた!で喜んでるだけだから。

うーん、だけどもコミュニケーションがないと、要するに、人と出会わないと、人に聞かせて、人にもおもしろいと思わせないと、結局“おもしろいこと”は実現しないのだ。

てことで、僕は苦手なコミュニケーションに日々邁進してる。“おもしろいこと”を実現するために。
でも、そもそも“苦手”だから、すごく疲れる。

これ、なんとかならないかな?
最近そんなこと考えています。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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