テレビマンの矜持

テレビは視聴率を取らないといけないのです。
なぜなら、それで成立しているビジネスだから。
なので、そのために悪戦苦闘するテレビマンの気持ちはわかるし、僕も20年くらいそれをやってきました。

でも、だからそれでいいのか?と思うことがあるのです。たとえば、、、

テレビでよく見かける人を、テレビにキャスティングできると安心する、そんなテレビマンの内輪な安心感な感じ、もういらなくないだろうか?

むしろテレビで見たことない人を、テレビに出てもらって、皆にその人のすごさを気付いてもらった方が、テレビマンとしてはおもしろいんじゃないだろうか?

誰が新しいとか古いとか、いちいち吟味してるその人自身の感覚が古くさかったらどうなのだろう?
何がイケてるとかダサいとか、いちいち論評してるその人自身のセンスがダサかったらどうなのだろう?
他所をおもしろいとかつまらないとかグダグタ言ってる前に、自分がおもしろければよいのだ。

僕は他人の「おもしろい」はほとんど信じるけど、他人の「つまらない」はほとんど信じない。
つまらないと言ってる人がそのおもしろさを理解できないだけかも知れないから。
逆に僕が理解できないおもしろさもたくさんあるわけで。

他人の「おもしろい」から未知のおもしろさを知りたいのです。

って気概あって視聴率を狙うのと、視聴率取るために人気者を出そうと考えるのには、雲泥の差があるのではないだろうか?

つまり、矜持。

テレビマンの矜持。

テレビマンの矜持とは何なのだろうか?

僕もテレビマンの端くれとして、常に考えてるわけです。
角田陽一郎 Kakuta Yoichiro Official Site [DIVERSE]

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バラエティプロデューサー/文化資源学研究者(東大D2)/ 著書:小説『AP』『仕事人生あんちょこ辞典』『最速で身につく世界史/日本史』『天才になる方法』『読書をプロデュース』『人生が変わるすごい地理』『出世のススメ』『運の技術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』他/映画「げんげ」監督/水道橋博士のメルマ旬報/週プレ連載中/メルマガDIVERSE

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