「広告業界⇆放送業界⇆芸能界」の三つ巴モデルがまもなく終焉する

クリエイターが多い業界のクリエイター然としてる立ち居振る舞いの方々に時々出会うと、ものすごく違和感を感じてしまう。

なぜならホンモノのクリエイターに会うとクリエイター然としてない人が圧倒的に多いから。

そのクリエイター然とした立ち居振る舞いから推測するに、多分たいしたクリエイターじゃないんだろうな、的な。(自分のことはおいといて(笑))

でもそんなクリエイター然とした人がクリエイター然としていられる時代が間もなく終焉する。


大量生産消費社会から適量生産消費社会に変わると広告のカタチは激変する。

以前なら大量に生産したものを大量に消費者に届ける必要があった。そのために消費者に認知させるために大量広告はおこなわれるのだが、大量に生産する意味がなくなると、欲しい人だけに欲しい情報が届けばよいことになる。つまり広告というその行為の意味自体が変わるからだ。

それは広告ではなくなるかもしれない。クリエイティブデイレクターのPOOLの小西利行さんと以前話した時は、《広告》は《告広》になるとおっしゃっていた。「広く告げる」ではなく、「告げてから広がる」。「広く告げる」というのは、その商品やコンテンツに興味ない人にも無作為にその情報を投げかけることを意味しているけど、「告げてから広がる」とはその商品やコンテンツに共感した人たちが、(勝手に)広げていくことになるから。

昔々、芸術家(クリエイター)は自分の作品を作る為に王侯貴族をパトロンにした。

でも王侯貴族が没落すると芸術家(クリエイター)は次のパトロンを求めた。それは会社だった。

資本主義社会の中で彼らは、「広告はクリエイティブ的な方が価値がある」という幻影を作って企業をパトロンにした。

つまり(いろいろ意見はあるだろうけど)広告とは芸術家が自分が作りたいものにどう金をださせるか?の施策として思いついたアイデアでしかないような気がする。


大量生産広告消費社会から適量生産告広消費社会に変わると広告のカタチは激変する。

その時企業をパトロンにしていた広告クリエイターたちは次はどうやってパトロンを見つけるのだろう?そしてさらにその広告をパトロンにしているテレビはもっとどうするのだろう?

そんな未来が意外に早く来ると思う。というかもう来ている。


ある有名女優さんが言っていた。

自分が滅多にバラエティ番組に出ない理由、それは出ると価値が下がるから。

「滅多に見られない存在だから広告に出ると価値が出るわけで、なんで価値を下げる為にバラエティ番組に出なきゃいけないの?」

つまりタレントにとって価値が上がるメディアと価値が下がるメディアがあるわけだ《今までは》。

その価値がこれから変わることを意味してる。


芸能界システムは、広告に出ると儲かるというシステム上で成立してる。

それが広告の激変化で、企業が広告にお金をかけなくなるとシステム自体が崩壊する。

その時芸能界とそれに依存する放送業界はどうシステムを改変するのだろう?

僕は改変できずに衰退して行くと思う。

つまり既存の芸能界は無くなる。

新しい芸能界が生まれるかもしれないし、もっと全然違う世界が生まれるかもしれないし、何も生まれないかもしれない、それはわからない。


無名の人はむしろ逆にテレビに出たがる《今までは》。

不特定多数の人への知名度を上げそれで広告費を稼ぐ為。

でもテレビに出なくても一定数の支持者がいれば成立し、有名になっても企業は宣伝に使わず、さらにテレビに出ること自体が有名になる手段じゃなくなる、そんな事態が近い未来にやってくる。


「広告業界⇆放送業界⇆芸能界」の三つ巴モデルがまもなく終焉する。

そのバミューダトライアングルに吸い込まれるお金で食っていたクリエイター然とした人たちは吹き飛ぶ。


でもだからこそエンタメはよりおもしろくなると思う。

そこからが進化だと思う。

おもしろいモノを作ったおもしろい人が生き残る。

ワクワクする。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro DIVERSE

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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