リオオリンピックが終わって想うこと

リオオリンピックが終わった。月並みな感想だけど、とてもワクワクしたし、感動したし、素晴らしかったと思う。

それは、スポーツだけでなく、なんでもそうだけど、何かに頑張っている人を見ると、人はワクワクするし、感動するからなのだ、と思う。


翻って、オリンピックの時、毎回僕が想うことを書こうと思う。


①始まる前は、競技場の建設間に合うのか?治安はどうなのか?財政破綻は?

みたいなネガ報道ばっかり。でも結局間に合ってるじゃん。2年前のブラジルW杯でもそうだった。

結局、何かことを起こそうとする時、ネガティブな情報を踊らせたい人たちがいる。でもそれって、もうよくないか?


②オリンピック開催に反対の人がいる。これはみんなそれぞれの意見があるわけだから一向に問題ない。ただ僕は想うのだけど、その人が特に、何かを生み出したりコトを起こそうとしている、エンタテインメント系職業の人ならば、

他者が何かを生み出したりコトを起こそうとすることを、反対するのはなぜなのだろう?

僕はそこがピュアに分からない。

だって、もしその人がそれに反対するならば、翻ってその人自身の何かを出すエンタメ行為だって、反対されるかもしれないのだよ。「そんなくだらないこと止めろ」って言われるかもなんだよ。

例えばある映画監督が、オリンピック反対だとする。だとしてその映画監督が「あなたが映画を撮るのは反対です。」と言われたならばどうだろう?嫌じゃないかな?中身でとやかく言われるのはともかく、それ以前に「お前が映画撮るのは反対!」ってそんなひどい話はないと思う。

前の東京オリンピック無かったら、市川崑監督のドキュメンタリー映画だって産まれなかったわけですよ。


当然スポーツ競技自体に人生をかけている人がいる。彼らのためのオリンピックであるのは間違いない。でもそれと同等にオリンピックってエンタテインメントな行為なわけだ。

だから少なくとも他人のエンタメ行為を否定するいわれはないと思う。その出来に否定的な感想を述べることがあるのは当然だし、多額の費用がかかるわけだからいろいろ議論が起こるのは当然だ。むしろいろいろ議論すべきだと思う。でも開催反対って言っちゃったら、それは結局ナニモノも産み出せなくなってしまう。僕はそれがすごく嫌なのだ。

無駄なエンタメなんてないと思う、なぜなら多かれ少なかれエンタメは無駄だからだ。でもその無駄こそが一番の人類の宝だと想う。


③リオオリンピックの開会式素晴らしかった。でもそれはリオだけじゃなく、開会式はいつもすばらしい、この前のロンドンだって、北京だって、アテネだって、開会式は本当最高のエンターテインメントだ。(僕は開会式マニアでDVD買ってるくらい)

そして次の東京オリンピックの開会式は一体だれが演出するのか?心配だ!みたいなコメントをよく見た。はっきりいって僕も実は不安があった。

でも今日の閉会式の、日本紹介パートを見て、その不安は全然消えちゃった。むしろ感動して、すごいエンタメだと思った。知り合いの方も参加して作っていてあんな素晴らしいパフォーマンスを企てていたなんて、脱帽です。

というか、オリンピックに限らず、僕の知らないところで、いろんな人ががんばって、いろいろ考えて、おもしろいエンタメを日夜いっぱい生み出し続けているわけだ。そこをいちいち心配している暇などないのだ。

僕はシンプルに思った。

「そんなことより、お前も生み出せばいいんだよ!」

僕もひたすらがんばって、自分が生み出したいものを生み出すしかないのだ。

そこに気づかせてくれた、リオ・オリンピックだった。

角田陽一郎/Kakuta Yoichiro Official Site

バラエティプロデューサー/Variety Producer 著書『13の未来地図フレームなき時代の羅針盤』 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』『最速で身につく世界史』『成功の神はネガティブな狩人に降臨する-バラエティ的企画術』『究極の人間関係分析学カテゴライズド』/映画「げんげ」監督/ 水道橋博士のメルマ旬報連載中/渋谷のラジオ金曜朝10時[渋谷で角田陽一郎と]/MX オトナに!

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